望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

ピンチはチャンス

 「ピンチはチャンス」だそうである。業界団体の会合など経済関係で、この言葉をしばしば聞くことができ、世に広まった。ただし、「ピンチはチャンス」だと断定する具体的な根拠はほとんど示されない。不景気にシュンとなって落ちこまず、元気を出そうよ……てな精神論が多いようだ。



 精神論は、事実を正視しないところで増殖する。この「ところ」というのは、場所であったり、時であったり、人間であったりする。経済学ではやたらと数式が出て来て、経済は客観的事実に基づく動きのように誤解したくなるが、現実の経済は欲が絡み合う世界なので、精神論がはびこる余地は大きい。



 「ピンチはチャンス」であるのは例えば、株が大幅に下がっているので買うチャンスだとか、住宅価格が下がっているので投資のために買うチャンスだとか……つまり金を持っていることが個人にとっては条件。どこかの会社が経営難だが人材がいないので、求められて入社して立て直すチャンスが来るなんて、映画みたいには、なかなかいかない。



 企業にとっては不況はピンチだが、ライバル会社への影響のほうが大きければ、チャンスともなるかもしれない。ただ、数十年に一度という不況ともなると、大半の企業は赤字決算などで余裕がなくなる。「ピンチはチャンス」とは企業にとって、冷静に自社の事業を見直し、大胆に再構築することなのかもしれない。



 しかし、出口の見えない不況のなかでは精神論にも出番がある(不況でなくても、日本では精神論がはびこるが)。「ピンチはチャンス」だと信じて、何がチャンスなのか知らないが、とにかく毎日を頑張って生き抜いたのであれば、このフレーズにも少しは意味があったと言うべきかもしれない。



 ところで、新型コロナの流行を「ピンチはチャンス」の精神でとらえるならば、どういう行動をすべきか。ワクチンの大量発注を見込んで製薬会社の株価が上がったり、観光・旅行関係が下がったり、様々な動きがあるようだが、株のことはさておいて、資産がない個人なら、このピンチをどうチャンスにすることができるか。ウ~ン。例えば、マスクを仕入れて、駅前やイベント会場入口などで1個売りをする……たいしたアイデアは出て来ない。



 お題目のように「ピンチはチャンス」と唱えても気休め以上の効果はないようだが、冷静に現実を見て、ピンチをチャンスにできる人はいる。おそらく、そのような人にとっては「ピンチはチャンス」ではなく、「いつだってチャンス」なのかもしれない。