望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

自然と調和した生き方

 え~、日本人は自然と調和して生きて来たなどと書いてあるのを時折見かけますな。本当なんですかね。よく持ち出されるのが江戸時代。そのころの日本人は、自然を畏敬し、自然と調和し、共生していたとか、紙を何度も再利用するなど資源の浪費をしなかったとか、持ち上げられています。日本人って、生まれつきのエコ人間なのかしら?



 日本人の生き方の基本に「自然と調和して生きる」ということがあるのだとすれば、2つの疑問が湧いてくるんですよ。そんな日本人がなぜ、明治以降の開発によって各地で自然破壊を行ったのか。二つめの疑問は、江戸時代までは、自然と調和して生きるしかなかったから、そうしただけではなかったかという疑問。



 自然と調和して生きるというのはステキな生き方に見えますな。そんなステキな生き方が日本人のDNAに組み込まれているのだとしたら、日本人の多くは、そんな自然と調和した生き方をしているはずです。ところが、実態は違いました。だから、自然と調和した生き方が、特別なステキなものとして取り上げられるという有様です。



 だいたい日本人が自然と調和して生きる連中だったなら、全国各地の開発による自然破壊は起きなかったでしょうな。明治以降の近代化のなかで日本人は、貧乏だけど自然と調和して生きるよりも、豊かになることを望みました。正直です。「自然と調和して生きる」なんてことに価値を見いだしたのは、おそらく最近のことでしょう。



 西洋に比べて日本で「自然と調和して生きる」生活が遅くまで残ったのは、日本人自身で産業革命を行うことができなかったからでしょうな。明治以降に西洋から近代化の波が押し寄せ、日本でも産業開発優先による自然破壊が進みました。30年ほど前から、近代化が本格化した中国では、まさに開発優先の自然破壊が進行中です。



 こうして振り返ると、特別に日本人が、自然と調和して生きるという生活様式なり哲学なりを持っていたというわけではなさそうですな。江戸時代まで日本人が自然と調和した生き方をして来たのは、哲学なりがあって、そうしたのではなく、そうしなければ生きられなかったからです。