望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





報道とカネ

 政治とカネの問題でメディアは政治家をさんざん批判しますね。ちょっとの疑いでも持たれたならば、説明責任があるだろう! 説明責任が!……と説明を求めます。そうした説明にちょっとでも齟齬が見つかろうものなら、火に油を注がれたかのように「熱く」報道してみせたりしましてね。



 そんなに、カネと縁のない政治を求めるなら、制度を変えるべきでしょう。選挙は完全な公営選挙とし、公設の立会演説会、各立候補者の見解を並列した選挙公報、テレビ・ラジオによる政見放送以外は一切禁止する。そんな公営選挙にして、個人のカネを選挙に使うことを禁止するんですな。



 公営選挙にするということは、各候補者の後援会活動も制限しなくてはなりません。選挙だけ公営にしたなら、結局は後援会を維持できるカネを持っている陣営が有利になりますから。各候補者の条件を均等にするため、後援会の組織構成・活動などにも制限を設け、カネをかけることを禁止しなければなりませんな。後援会は、支持者による完全ボランティアの活動しか許されないことになりそうで。



 当然ながら、地元にも私設秘書を置いて、冠婚葬祭や集会にこまめに顔を出してアイサツ回りを欠かさない……なんてことは禁止です。



 政治とカネを根本的に切り離すためには、選挙を含めて政治活動に個人(候補者)がカネを使うことを禁止することです。政治活動にカネを使えないのですから、カネを受け取ること自体を犯罪とすべきでしょう。もしカネを受け取った政治家がいた場合は、びしびし逮捕すればいい。



 政治とカネの問題だとしてメディアは、その時々に特定の政治家をターゲットにして騒ぎ立てますがね、現行の制度で許容される政治資金のあり方(集め方と使い方)は何か……なんてことには触れませんな。政治活動にカネがかかるということ自体が忌まわしいことであるかのような調子で、潔癖性みたい。メディアはすぐに「正義」を気取りたがるものですから、仕方がないのかもしれませんが。



 完全な公営選挙は実現可能性が低いとなると、政治とカネの関係について世間の関心が高いのなら、整理し直す時期かもしれません。個人の政治活動の何を認め、何を禁止するか、容認された政治活動には個人の資金の投入を認めるのかなどガイドラインを明確化する。そのポイントは、クリーンだけど無能な政治家がいいのか、疑念をもたれるけど有能な政治家がいいのか、政治家観をはっきりさせることでしょうな。



 政治とカネと後援会と言えば、「世襲」の問題にメディアは触れません。例えば自民党の看板となった感のある小泉某、親父さんの後援会を受け継ぎ、政治資金も受け継いだのでしょうが、いったい「相続」した政治資金はいくらになるんでしょうかね。さわやかなイメージの小泉某が、自力で政治資金をゼロから集めたのなら立派ですが、しょせんは親父の七光とあっては幻滅ですぞ。

 政治とカネについてはメディアは大騒ぎしますがね、ダンマリを決め込むのが、報道とカネの問題。以前から噂はあったものの、野中広務氏が官房機密費の使途の一部を明らかにして以来、メディアの政治部が「餌付け」されていたんじゃないかとの疑念がくすぶっています。でもメディアは説明責任を果たさず、黙殺する気配なので、政治とカネのようには世間は「燃え上が」らないかもしれませんな。