望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

バラエティー番組に出演する政治家

 知名度を当てにしてタレントを選挙に引っ張り出して来たのは自民党を始めとする政党だった。得票数が重要な比例代表選挙ではタレントを上位に据え、票の上積みを狙った。しかし、タレントを政党(政治家)は利用する対象としか見ていないらしく、タレントが自発的に政治家になろうとする場合には揶揄するような発言も珍しくはなかった。そこには、テレビに出てチャラチャラしているタレントと、政治家(屋?)として生きて来た自分らとは違うんだという自負が垣間見えた。

 選挙で票を得るためには何でもする人々を政治家と定義するならば、タレント候補を見て政治家は思いついたに違いない。「自分もタレントになれば、票をもっと得ることができる」と。そして政治家が積極的にテレビに出始めた。

 最初は、日曜日午前のトークショーだった。民放各局が政治絡みのネタを取り上げるトークショーを設け、毎週多くの国会議員が出演するようになった。月曜日は日刊紙の政治面がネタ枯れとあってかテレビでの国会議員の発言を伝えるようになり、国会議員はテレビは「使える」と実感した。

 やがてクイズ番組を始めとしてバラエティー番組に出演する国会議員が増えた。そうした番組では、センセイとしてのポジションではなく、他のタレントと同列であり、「いじられる」ことも珍しくはない。安倍氏も首相になる以前にバラエティー番組に出ていた。偶然その出演場面の一部を見かけたのだが、安倍氏はジャージ姿でゲームをやっていた。有力な首相候補といわれた人物がバラエティー番組に出ているとはと呆れるとともに、体格が貧弱だなと印象に残った。

 タレントが議員になることと議員がタレント活動をすることは、どちらの「罪」が重いのだろうか。(国会議員を職業と看做して)職業に貴賤・高低はないが、自分らの生活の糧を得るための仕事と、社会のありようを考え、法を制定する仕事とでは明らかに社会的重要性に違いがある。それゆえに国会議員には税金から報酬を払い、経費面でも優遇するなど、その活動を助けている。それなのに、「社会に奉仕すべき」国会議員がテレビのバラエティー番組などに出演して、タレントに混じり、「芸能」活動をする。

 与野党対立の法案ばかりがマスコミには取り上げられるが、数多くある法律には現実に即さなくなっている条文なども多いと聞く。官僚に任せてばかりでは、彼らの既得権の変更につながる条文の改正・改訂は行われまい。官僚に任せっきりだから国会議員はヒマで、テレビに出ているのかもしれないが、バラエティー番組に出ている姿からは国会議員としての自覚・モラル・使命感がうかがわれない。

 テレビは視聴者を受け身にする。せいぜいが、納豆はダイエットによいとの番組を見て、スーパーに納豆を買いにいく程度の主体性しか持てないのだとすれば、国会議員がテレビのバラエティー番組に出ているのを見ても違和感を感じないかもしれない。逆に、テレビでよく見かける顔だからと1票をうかうかと投じるかもしれない。その1票が「アホな議員」を議会に増やし、やがて、自分または子供らの首を絞めるかもしれない。