望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

犠牲者を減らした?

 2010年に広島の平和記念式典に初めてアメリカ政府代表が参加したが、献花もせず、発言もしなかった。残念がる向きもあるが、発言できなかったのだろう。チェコオバマ大統領が演説し、核廃絶に触れても理念の問題に閉じ込めておけるだろうが、広島では過去の現実に結びつけて受け止められる。



 アメリカでは反発もあって、例えば、B29爆撃機エノラ・ゲイ」機長の息子がルース駐日大使の出席を批判し、「原爆投下で戦争終結が早まり、多数の命が救われた。我々は正しいことをした」との父の生前の主張を述べたそうだ。



 多数の命が本当に原爆で救われたのか、検証は不可能だ。兵士や国民の命を軽んじる当時の日本軍のことを考えると、米軍の日本本土上陸作戦が行われたなら、多数の日本人の命が失われたであろうことは確かだろうが、起こらなかった歴史をもって、起こった歴史を正当化することはできない。



 米軍の死者に限定して考えると、第2次世界大戦での米軍の死者数は約41万人という。広島、長崎に米軍が原爆を投下せず、米軍が日本本土上陸作戦を行っていたなら、米兵の死者数はもっと多かっただろう。ちなみに沖縄戦での米軍の死者・行方不明者は1万2520人という。



 「多数の命を救うためには原爆の使用が許される」というなら、その多数とは何万人ぐらいか。米軍の死者数は朝鮮戦争では約6万3千人、ベトナム戦争では約5万8千人という。両戦争で米軍は核兵器を使用しなかったので、彼らのいう多数には、両戦争の米軍の死者数は達しなかったのだろう。ただ、両戦争でも核兵器使用が米政府内で検討されたが、反対があって使用できなかったともいう。



 以前に話題になったサンデル教授の、正義をテーマにした「白熱教室」では、「5人を救うために別の1人を殺してもよいか」というトロッコ問題が取り上げられていた。これを広島、長崎への原爆投下に当てはめるなら、「アメリカ兵士を救うためには何万もの他国人を殺すことは正義か」となる。正義だとアメリカ人は言うだろうな。「だって、戦争だったんだから。殺すか、殺されるかだ。勝ったほうが正義だ」と。