望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

新しい戦術

 NYなどでの同時多発テロ直後にブッシュ米大統領は「これは戦争だ」と宣言した。日本も含め多くのマスコミは無批判にそれを伝え、そしてアフガニスタンへの攻撃となった。だが、戦争であるとするならば、随分特異な戦争であった。

 特異な第一は、攻撃の主体である米軍が地上戦に参加していないことだ。特種工作員は参加していたらしいが、いわゆる米地上軍兵士が参加したのは、北部同盟が優勢を確立してからのこと。つまり、米軍兵士が死ぬ確率の高い地上戦を米軍は避けた。ベトナム戦争の教訓か。

 第二は、争いをするまでもなく制空権を確保できたこと。開戦前から判っていたことではあるが、タリバーンが軍事的にも政治的にも近代化されていないこともあって、世界の最先端を行く米軍の敵ではなく、「中世と現代」の戦いとなり、結果は米軍の圧勝だった。

 第三は、米軍は対テロリスト組織戦争をし、北部同盟は権力闘争と、それぞれの戦争を行ったこと。おそらく米軍はビンラーデン殺害(生きたまま捕らえれば、後々の裁判が面倒)とアルカイダ壊滅だけが目的で、タリバーン崩壊後のアフガニスタンに米国は大して関心はなかった。

 石原莞爾は世界最終戦争論(1940年の講演)で、戦術の変化について、「密集隊形の方陣から横隊になり散兵になり戦闘群になった」とし、「これを幾何学的に観察すれば、方陣は点であり、横隊は実線であり、散兵は点線であり、戦闘群の戦法は面の戦術」であり、「この次の戦争は体(三次元)の戦法であると想像されます」としている。その後は石原の言う通り、制空権を握った側が圧倒的優位に立つこととなったのだが、ベトナム戦争は例外だった。

 2001年のアフガニスタン攻撃を戦術的に見ると、米軍は空高くから強力な爆弾を投下し(最初は夜間に集中して)、巡航ミサイルで数十キロ離れたところから攻撃した。「汚く危険な」地上戦は現地人に任せて、安全が確保されるまでは米地上軍はアフガニスタンに入らない。これを新しい戦争と考えるなら、体(三次元)を拡大させた、敵の攻撃の及ばない場所から、一方的に敵を攻撃するだけという戦術である。

 冷戦期にさんざん行われて来た代理戦争の変型とも考えられるが、米軍が米兵士の被害を最小にする方法論を湾岸戦争コソボ空爆などを経て確立した。こうなりゃ米軍は世界のどこでも攻撃できる。「アメリカがんばれ」と旗を振ってみせる国は除いて。