望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

民主主義の限界

 アフガニスタンからまず大統領が国外に逃れ、米軍が撤収し、タリバンによる支配が20年ぶりに復活した。米国の後押しで誕生した民政政府と国軍が少しはタリバンの攻勢に抵抗するだろうとの米国の目論みはあっけなく瓦解、米軍の撤収はタリバンに追い出される格好となった。

 アフガニスタンに民主主義をもたらすことを米国が掲げたのは、アフガニスタンに侵攻したことを正当化するためだった。だが、「与えられた」民主主義はフガニスタンに根付かず、民生政府は腐敗にまみれていたと批判されるなど実態は「頭から」腐っていたとあっては、民主主義の良さを実感するアフガニスタンの人々は多くはなかっただろう。

 アフガニスタンの人々の多くは旧来の価値観に基づく社会で生きており、西欧起源の民主主義の必要性や価値などを理解できなかったのかもしれない。人権や自由など個人の権利を尊重する考え方も西欧起源だが、例えば、イスラム法などを西欧起源の価値観の上位に位置する社会において、民主主義など西欧起源の価値観が根付きにくいのは当然か。

 日本など西欧起源の民主主義が定着した社会は、統一国家が誕生した後に中央政府に対する人々の批判が活発に行われていたという歴史がある(そうした批判を封じ込めるために中央政府は従わない人々を弾圧した歴史もある)。自由を求める人々が存在したから、強権支配する中央政府が倒れた後に、民主主義が機能する社会に移行することができた。

 西欧起源の民主主義の必要性を理解しない人々が多数を占めている社会では、政治体制としての民主主義が導入されたとしても脆く、定着しても西欧における民主主義とは様相を異にする民主主義になったりもする。民主主義の精神を持たない人々にとって、民主主義の必要性は実感できないだろう。

 世界には自由選挙などを導入して民主主義の体裁を整えた国は多いが、ロシアなど強権支配が実態である国も珍しくない。制度としての民主主義は社会によって変形するものであり、西欧だけが民主主義の解釈権を独占しているわけではない。国情に合わせて様々な民主主義が存在するのであれば、民主主義という言葉の定義は複雑になる。

 タリバンは西欧起源の民主主義とは別種の国家を形成するだろう。サウジアラビアなど西欧起源の民主主義を拒否している国は珍しくなく、ロシアなど独自の民主主義体制の国もあり、中国など1党独裁を続ける国もある。西欧起源の民主主義の広がりには限界があり、多様な統治・支配形態があるのが現在の世界だ。