望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





天から食べ物

 昔、天から毎日、決まった時間に食べ物が降ってきたので、人間は働くこともなく毎日楽しく暮らしていたという。しかし、人々の間に「もし、明日、天から食べ物が降って来なければ、飢えることになる」との不安が出て来て、天から降って来た食べ物を全部食べずに、少し残しておいた。すると次の日から食べ物は天から降って来なくなり、人間は食べ物を得るために働かざるを得なくなった……。



 これは台湾の高砂族の神話だという。楽園追放の物語は世界各地にあるようだが、これは、楽園の生活に感じた不安に対応しようとしたことが、結果として楽園からの人間追放につながったものだ。皮肉をいうなら、人間が「想定外」に対応しようとしたことが、天には気に入らなかったのだろう。



 不安というものは、実態が分からなかったり、理解できなかったりした時に増幅する。天から食べ物が降って来る「メカニズム」が人間に理解できていたならば、不安を覚えて食べ物を備蓄することもなかったかもしれない。しかし、その「メカニズム」を知るすべがない時に人間は不安を一層強く感じるようになる。



 天のことは人間には知るすべもないが、人間世界で起きていることは知ることができるはずだ。不安が増大するのは情報不足に起因するのだが、この世界には様々な不安があふれており、個人で調べ理解しようとしても限界がある。そこにメディアの役割がある。



 情報にも各種あるが、メディアに求められるのは、現実に何が起きているのか、どういう要因で起きたのかという事実に基づいた種類の情報だ。「このままでは大変なことになる」といった種類の予測情報の優先順位は低いのだが、メディアも商売、売るためには騒ぎをあおり立てる。情報不足をメディアが利用することによって、不安をかき立て、買わせる……。



 天から食べ物が突然降って来なくなったら、人間は混乱しただろう。天から食べ物が降って来なくなるかもしれないとの不安(可能性)に備えようとしたから人間は、食べ物が降って来なくなった時にも対応できたのかもしれない。現実世界で想定外に備えることには対応しきれないかもしれないが、想定外を考えることは人間にはできる。2011年の大震災を想定した専門家はいなかったようだが、地震に伴う原発震災を想定していた専門家は存在した。