望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





黒鳥


 自分の目に見えている世界(主観的な世界)と、現実の世界(客観的な世界)とのズレは、程度の違いはあっても、誰もが抱えているものだろう。自我が強く、主観が出過ぎると、ズレに気づかなかったり、ズレを無視したりして、周囲は振り回されたり、辟易したりすることになる。



 ズレにも様々あって、自分を過大評価しているものもあれば、自分を過小評価しているものもある。大雑把にいうと、現実がうまく行かないのは周囲が悪いからだと思いがちなのが自分を過大評価しているタイプで、うまく行かないのは自分が悪いからだと思い込むのが自分を過小評価しているタイプだ。厄介なのは、同一人が気分次第で、自分を過大評価したり過小評価することがあることだ。



 小説や映画などでは、作者が想定する現実世界と、主人公の主観的世界を描き分けることが多いが、主人公の主観を優先して作品世界を構築することもある。そうした作品の場合、表現された主観的世界に、読者や観客が無理なく入ることができるかどうかが最初の関門となる。

 2011年に公開された映画「ブラック・スワン」は手持ちカメラによるブレた映像で始まる。「仁義なき闘い」を思い出し、おっ、最初から殴り込みかなんて勘違いしそうになるが、派手なドンパチは出て来ない。やがて映像は落ち着き、ストーリーが動き始めるのだが、不安定感がつきまとう。



 その不安定感は、例えば主人公を傷つけたり、主人公に不利益をもたらしたりする映像が散りばめられることによるが、実は制作者が意図したものだ。この映画は、冒頭のぶれた映像を含め、主人公の不安定な精神世界=主観的世界を映像化した作品である。作品の想定する現実世界とのズレを曖昧にしているので、観客は戸惑いを引きずりながら見続けることになる。



 この映画はアカデミー賞の作品賞候補になるなど世評は高く、主役のナタリー・ポートマンは主演女優賞を受賞したのだが、観ていてハッピーな気分に浸ることができる映画ではない。心理スリラーとジャンル分けされているようだが、サスペンスや謎解きを重視しているようでもない。主人公の主観的世界に付き合うことができるかどうかが、この映画を楽しむことができるかどうかの分岐点だ。