望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

時間と実在

 実在とは「現実に実際に存在する」ことであり、人間の意識に関わりなく存在することでもある。人間の意識が関係するのは、例えば、長さや重さなどに相当するものは実際に何かが存在しているのだろうが、それを長さや重さとして規定したのは人間であり、人間が単位を決め、測定することで長さや重さは現実世界に現れる。

 長さや重さなどの存在は人間の意識に基づくものであり、人間が存在しなければ長さや重さなどは現実世界に現れない。一方、現実世界には、例えば、動物や植物、鉱物などのように人間の意識とは関係なく存在しているものは多く、それらは実在する。

 実在するかどうか曖昧なものに時間がある。見えない時間の流れを人間は意識し、1日があり1年があるとカレンダーをめくるときに現在と過去、未来の存在を意識するだろう。単位を決め計測することで、時間は人間生活に欠かせない便利なものとなった。

 現実世界に時間に相当する何かが存在しているように見えるのは、様々な変化(動き)を認識するからだ。様々な変化(動き)を説明するためには時間という概念が必要となる。空間的な変化(動き)や化学反応などの現象的な変化などに加え、心変わりなど人間の精神における変化も時間を抜きにしては説明できない。

 時間を人間は人間が決めた単位で計測する。日の出から次の日の出までの変化(動き)を1日としたのは、人間の生活に最適な単位であっただろうし、それを基準に人は現実世界の理解を広げ、宇宙から素粒子レベルまでの様々な変化(動き)を説明することが時間を使うことで可能になった。

 現実世界は様々な変化(動き)に満ちている。それを理解するためには時間が必要で、つい時間が実在するような感覚にもなる。だが、時間が実在するのか=人間の意識に関わりなく時間という何かが存在するのかは不明だ。時間は目に見えず、人間が計測することによってのみ現れる存在でしかない。

 様々な変化(動き)に満ちている現実世界で生きる人間が、時間という概念を創出したのは必然かもしれない。長さや重さなどと同じく見えないものを認識し、単位を設定して計測することで、現実世界の理解を広げようという人間のたゆまぬ試みの上に現在、我々は生きている。