望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





哀れな帰宅困難者

 

 2011年に3月の東日本大地震に続いて、秋の台風15号襲来でも東京圏のJR、私鉄は軒並み動かなくなり、また、大量の帰宅困難者が駅から溢れた。当時の石原都知事は会見で、帰宅困難者を「見えなく」させるためか、企業に、社員を一定時間帰宅させずに社内にとどめることや、食糧や水の備蓄を促すことを求めた。民間備蓄を促進する条例を制定するともした。



 地震や台風等で東京の交通網が混乱し、大量の帰宅困難者が発生することへの対策が、企業内に社員をとどめて駅に来させないようにし、企業に食糧等を備蓄させること。これは行政が「有事」の大量の帰宅困難者には、お手上げだということを示す。



 政治や行政、経済、文化の活動の中心地が東京に集中しているから、東京で勤務する人間の数が膨れ上がる。企業も東京に本社を続々移し、建物が密集しているのだから、郊外へ通じる新たな道路を通すことも、既存の道路の拡幅も不可能に近い。大量の帰宅困難者のために主要駅の駅ビル内に収容スペース設置を義務づけることも、東京都の力では簡単にはできまい。



 大地震も台風も何度でも東京を襲う。そのたびに人々は、会社にとどまっていることが「基本」になったとしても、家族がどうなっているのか、子供がどうしているのか、心配だから帰宅するという社員を強制的に会社にとどめておくことはできまい。人数が多少減ったとしても、かなりの帰宅困難者が発生することは続こう。



 東京都は、東京で勤務する大量の人々の安全に責任を持たなければならない。でも、東京都には、そんな能力がない。東京都の能力を遥かに超えて、東京に人々が集中しているのだ。地震などで大量の帰宅困難者が死傷したとなれば、そんな行政に何の価値があるのか。



 駅に溢れる大量の帰宅困難者が示しているのは、東京への一極集中が「限界」を超えてしまっているということだ。対策は、「帰宅せずに会社にとどまれ」と促すことではなく、東京からの企業転出や、官庁移転等による首都機能の分散を早急に進め、東京で勤務する人数を減らすことしかない。



 TVニュースでは、台風により帰宅できなくなって、盛り場で「食事でもして、電車が開通するのを待つ」などという人を映していたが、大地震が起きた時には、そんなことは言っていられまい。鉄道が止まり、道路が交通止めになり、携帯は通じない。家族のところへ一刻も早く帰ろうとする人々で溢れる。そんな状況は想定外ではなく、現実となる。