望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

利息が回らない


 世界に金融機関が一つだけあり、企業も一つだけあると仮定する。この企業は、あらゆるものを製造し、あらゆるサービスを提供する「万能」な存在とする。金融機関は預金者(企業や投資家なども含む)から資金を集め、企業や人々に貸して利息を得る存在とする。



 この金融機関は集めた資金を企業に融資する。その資金を企業は運転資金に充てたり、新規事業を始めて事業を拡張したりし、利息をつけて金融機関に返済する。金融機関は、さやを抜いてから預金者に利息を払う。金融機関は利潤を得、預金者も利子を得、企業は円滑に事業を進め、利益を得ることができる。このサイクルでは、企業が低迷することもなく順調なら、皆が相応の利息を得ることができる。



 ところが、預金者が所有する資金が大幅に増え、総計すると企業の売り上げの3倍にもなったとすると、金融機関は困ることになる。企業の資金需要には限度があるし、市場に浸透している「万能」企業の売り上げが3倍にもなることは難しい。



 金融機関は、大幅に増えた預け入れ資金の全てを企業に融資することは困難だ。融資額が増えれば支払利息も増えるので、売り上げを上回る資金を借りると企業は、大幅に増える利息を払いきれなくなる。金融機関は、預金の一部しか企業に貸すことができなければ、もう十分な利息収入を得ることができなくなり、預金者に払う利息も少なくならざるを得ない。



 預金者が大幅に増えた資金を預金に回さず、企業の製品・サービスを大量に消費するようにすれば、預金者から企業に金が移り、企業は投資して規模を拡大し、企業に融資した金融機関は十分な利息を得ることができ、金融機関は預金者に利息を払うことができる。



 しかし、預金者が消費するといっても、それまでの2倍、3倍を消費するわけはない。3度の食事を6度にするわけもなく、2台あったマイカーを6台にするわけもなく、新しい衣服に2時間ごとに着替えるようになるわけもなく、TVを増やして各部屋に2台ずつ置くわけもない。現実の消費には限りがある。



 企業の売り上げの3倍もの金を世界の人々が持ったということは、企業の利潤から払われる利子だけに頼っているだけでは、もう、彼らに十分な利息を払うことができなくなったということだ。しかし、大幅に増えた資金にふさわしい利息が求められる。そこで金融商品の出番となる。世界には金が余っているので、ハイリスクながらハイリターンを狙うか、それとも、世界のどこかでバブルを起こして投資し、勝ち逃げを狙うか……。



 世界には、実物経済の規模を数倍上回るマネーが流動しているという。そんな巨大なマネーの存在は世界経済を振り回すとともに、構造を大変化させた。