望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

占いの根拠

 血液型占いは、血液型と人の性格に何らかの関係があるとするから成立する。だが、血液型は客観的に判定できるが、人の性格は茫漠としている。陽気だとか真面目だとか気が強いとか消極的だとか人の性格は多くの要素が重なり合って形成され、時には陽気になり時には陰気になり、時には強気になり時には弱気になるのは珍しくなく、様々な条件次第で人は異なる反応をするだろうから、性格の見え方は変化する。

 相手次第で強気に出たり、上司がいると積極性を出したりと人は性格を状況に合わせて変えたりもするので、人の性格をこうだと固定することは簡単ではない。ドラマや小説などでは登場人物の性格を固定して分かりやすくするが、現実世界で人の性格を「正確」に判定することにはかなりの困難を伴うだろう。また、見ている側は主観で判断するから、人の性格の客観的な判定は揺れ動く。

 2つの関係を論じるときに、一方が固定されているが他方は揺れ動く状況では確実なことは言えまい。正確に言おうとすれば、揺れ動く状況に応じて確率を示し、例えば、A型の人が真面目な性格である確率は◯%、O型の人が陽性である確率は◯%などとするしかない。その確率の根拠には主観ではなく確かなデータが必要だが、性格に関する科学的なデータは乏しい。

 血液型占いは、血液型という客観的に判定できる要素と、人の性格という茫漠な要素を組み合わせることで、占う側が幅広く解釈する=どうにでも血液型と人の性格をこじつけることができる仕組みだから生き残っている。この種の占いを試す人々はおそらく、遊び半分で楽しんでいるのだろうから、占う側に客観的な正確さなどは求めていないことも血液型占いを存続させている。

 血液型により人の性格に決まった傾向があるとすれば、例えば、A型の人の性格が皆似ているとすると、日本人の約40%=約5000万人が同じような性格だということになる(日本人の血液型分布はおおよそA型40%、B型20%、AB型10%、O型30%という)。5000万人を同じ性格だとするためには、人の性格を大雑把に分けて誰にでも当てはまるような判定をするしかないだろう。

 血液型占いを信じる人は、「A型は真面目タイプ」などと言われると、それに合致する誰彼を思い浮かべ、血液型と人の性格に関連があるとうっかり納得したりするが、それは聞き手が占いの御託宣に合わせて解釈しているだけだ。A型だけどチャランポランな誰彼のことを忘れている。さらに、誰にでも真面目な一面があるので自分がA型なら「そうか」と簡単に納得できよう。

 運勢、吉凶、性格など占いの対象は様々だが、共通するのは占う対象が茫漠としていることだ。だから占う側は何でも言える。そうした占いに何かの根拠があるように見せかけるために、血液型とか天体とか科学で解明されている事柄と結びつけたりするが、掌を見たり人相を見たりと更に解釈次第で何でも言える手法と結びつけたりもする。科学を利用する占いのほうが近代的な装いだが、根拠が皆無なことは同じだ。