望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

沖縄の密貿易




 鹿児島南部から大隅諸島トカラ列島奄美諸島沖縄諸島宮古列島八重山列島から台湾へとつながる列島は、太平洋と東シナ海を分ける。赤道付近から北上する黒潮八重山列島付近を抜けて東シナ海に入り、列島に沿うように北東に流れ、トカラ海峡を抜けて日本列島南岸へと流れる。

 地図で見ると沖縄は、海上交易の絶好地にある。実際に琉球王国時代には明や清、東南アジア各地、薩摩などを結ぶ東シナ海の中継貿易で栄えたという。その沖縄が海洋貿易で“輝き”を取り戻したのが、1946~51年の「ケーキ(景気)時代」だ。

 沖縄は1945年の沖縄戦で戦場となり、地形が変わるほどの艦砲射撃(「鉄の暴風」といわれた)が米軍から加えられ、両軍と民間人合わせ20万人ともいう死者をだして沖縄は米軍に占領された。日本の敗戦後も米軍の沖縄支配は続いたが、米軍による沖縄本島以外の統治は後回しになり、台湾に近い与那国島でまず密貿易が公然と行われ、それが拡大して行った。

 占領下の沖縄で密貿易が盛んになったのは、人々の自衛策でもあった。戦場となって破壊し尽くされ、配給物質も十分ではなく、貿易は制限された。めぼしい産業はなく、生活のため人々は、米軍キャンプから物資を盗み出し、それを船に積んで、台湾、香港、上海、南西諸島、鹿児島、神戸、和歌山など各地に出掛けて物々交換した。

 そうした盛んだった密貿易の一断面を、夏子というボスを追いながら描いた労作が、奥野修司著「ナツコ 沖縄密貿易の女王」(文春文庫)だ。著者が夏子の存在を知ってから、12年以上もかけて取材して書き上げた本だ。そんなに時間を要したのは、夏子に関しても密貿易に関しても、文字で書かれた資料が乏しく、当時を知る関係者から聞くしかないが、散り散りになった関係者は高齢化しており、探し当てても、密貿易には口が重かったりと取材が捗らなかったからだ。

 海にはシケもあるし、台風もあるし、積み荷を狙う海賊もいたという。米軍の取り締まりも厳しくなったが、船が無事に戻り、積み荷をさばくと莫大な儲けになり、金はカマスに入れて積み上げていたというから、敗戦後の混乱が続く中で、一種の「冒険の時代でもあった」という著者の言葉にうなずきたくもなる。

 この本により夏子の輪郭は見えてきたが、沖縄の密貿易に関する書物は他に1冊しかなく、その全体像が明らかになれば、日本、中国、東南アジアなどの人々の生活や経済と絡めて当時の東アジア世界が浮かび上がって来よう。国家が強くなり過ぎた現代の視点でのみ見るのとは異なる世界が海にはあり、人々はもっと自由に行き来していたはずだ。リスクは自分持ちで。