こんなコラムを2010年に書いていました。
住宅密集地の中にある普天間の米軍飛行場。市街地の中にあるので、世界一危険な基地だと言われているとか。1996年に、代替施設への移設を条件に、米から日本に返還されることになったが、移設先がなかなか決まらず、辺野古に絞られてからも実際の移設は進んでいない。
民主党政権になって、自民党政権下での移設案を白紙に戻し、代替案検討を始めたが、たちまち様々な提案が百花繚乱(?)の趣だ。ただ県外移設とはいっても、受け入れる都道府県は出てきそうにない。関空を始めとして赤字垂れ流しの空港が各地にあるのにね。
つまり、米軍基地は日本のどこでも歓迎されていない。民意の動向を尊重して政治を行うのが民主主義だとすれば日本政府は、米軍基地の日本からの撤収を求めて交渉すべきだろうが、それは初めから検討外となっている気配。日米安保というものは、触れてはならないものであるらしい。
米軍基地が集中する沖縄の負担軽減を……と民主党は大見得を切ってみたものの、米軍基地を日本から撤収させるほどの交渉力はなく、移設先候補は二転三転、四転五転、迷走を強く印象づけただけに終わりそうだ。
国外、県外、県内で様々な移設先候補の名が挙げられたが、尖閣諸島の名はどこからも挙がらない。尖閣諸島を米軍基地の移設先に挙げることは、米中の反応を試す意味もある。中国が反発することは明らかだが、どの程度の反発にとどめるのか。米国は、中国への配慮と日本への配慮のどちらに重きを置くのか。日米同盟なるものの実態が明らかになるかも。
普天間飛行場の移設問題で、検討されていないテーマがある。それは、飛行場周辺の住宅地の移設。市街地の中にあって危険だという米軍の飛行場の移設が困難なら、基地周辺の住宅を移設すればいい。米軍基地の撤収ではなく、危険性の除去がそもそもの目的だったのなら、周辺の住宅地を移設しても目的は達成できる。
そもそも「市街地ができたのは基地が建設された後である」(高橋秀美「からくり民主主義」)そうな。沖縄戦の続いていた45年に米軍が普天間に飛行場をつくり、50年代に基地周辺に住宅が増え、57年には人口が戦前の10倍になったという(同書)。
基地周辺の住宅地の移設の方が、米軍基地移設よりもはるかに困難は少なかっただろうに、「無視」されていたのはなぜか。一部で指摘されるように、移設先を自衛隊が将来引き継ぐことが前提だとしたら、辺野古辺りに新たな飛行場を建設することが必要だったのかもしれない。だから政権交代後も、落ち着くべきところに落ち着く?