望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





政権交代が残したもの

 

 2009年8月の第45回総選挙で民主党が大勝し、自民党から民主党への政権交代が行われた。この時に当選した衆院議員の任期は2013年8月29日まであったのだが、政権を担った民主党内で“遠心力”が働くようになり、分裂を繰り返して行き詰まり、当時の野田首相は2012年11月に衆議院を解散したものの、第46回総選挙で大敗した。



 今度は民主党から自民党への政権交代が行われ、2012年12月に第2次安倍内閣が発足した。これは、さんざん大騒ぎをして新しい服を選んで試してみたものの、着心地が悪く、裸でいるわけにも行かないからと、着古して、あちこちに綻びが目立つ服を引っ張り出して着ているようなもの。民主党に代わる新しい服が見つからなかった。



 民主党が政権を担った3年余り。何をなそうとし、何を変え、何をなし遂げ、何に失敗したのだろうか。日本の政治史の中で、民主党への政権交代をどのように位置づけるのかという歴史的な評価は、どうなるか。素朴な印象として、実務能力が乏しい政党・政治家の悲哀が目立った印象だ。



 もちろん自民党自民党の政治家の実務能力が秀でているという意味ではない。政権を担っていた期間が長いから、自民党自民党の政治家は官僚の操縦法に長けているのであろうし、新しいことを何もやろうとせず、従来の枠組みの延長上でやっているのにすぎないから、官僚はじめ既得権益者との摩擦が少ないだけだろう。



 選挙スローガンとしての「改革」は、閉塞した政治・社会を変えてくれるかもしれないとの期待を漂わせるものだったが、実際に少しでも改革を行おうと試みると、幾重もの重層的な抵抗に直面し、なまじの決意では押し切ることができず、時代に流されるままになってしまったのが民主党政権だったのかもしれない。



 とにかく、どこかで一点突破をやってみせれば、改革のイメージが保たれ、民主党政権の評価もしやすいのだろうが、どこに、その一点があったのかが分かりにくい。