望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





守るべきもの

 2013年のベルリン・マラソンケニアのウィルソン・キプサング選手が2時間3分23秒の世界新記録で優勝した。これは従来の記録を15秒短縮したもの。15秒とは僅かなようだが、キプサング選手の世界新記録で計算すると、15秒で約85メートル走る。つまりゴール時点で、従来の記録保持者に85メートルの差を付けていたのだから、相当のハイペースだな。

 42.195キロを2時間少々で走るということ自体が普通の人にはできないだろうが、さらに誰も成し遂げられなかった速さで走りきり、新たな記録を樹立したのだから偉大だ。こうした記録を素直に喜ぶことができるのはスポーツ観戦の楽しみの一つだが、競争相手などからの“妨害”があったりして記憶達成が阻まれたりすると、後味の悪さだけが増幅される。

 同年にはウラディミール・バレンティン外野手がハイペースでホームランを量産し、ついにシーズン最多本塁打プロ野球記録(55本)を更新した。従来の55本の記録は王貞治タフィ・ローズアレックス・カブレラが持っていた。仲良く3人が並んだのは、1964年に王貞治が達成した55本を“外人”に抜かせないように、勝負を避けるなどの行為があったからだといわれる。

 プロ野球をファンはスポーツとして見るが、運営する側にとっては興業であり、選手を含めて関係する多くの人にとっては、生活の糧を得る職場でもある。日本人選手などの間に仲間意識が濃密となることは避けられないのだろうが、その仲間意識が、プロ野球の記録を“囲い込む”ことで守ろうとするなら興ざめでしかない。

 プロ野球の記録が、選手の才能や努力などに関係なく、仲間から認められた人物にだけ更新が許されるものだったなら、プロ野球はスポーツではなくなる。速さという分かりやすい基準がある陸上や水泳などに比べ、球技などの団体競技は、勝敗に様々な要素が絡んでくる。だからこそ、恣意性が入り込むことを排除しなければならないはずだ。

 減少気味とはいえ球場に行くファンはまだ多く、熱心なファンはCS放送などで見るようになり、福岡、札幌、仙台など球団が全国に散らばって新たなファンを掘り起こしたともいい、プロ野球ファンは減ってはいないという。でも、プロ野球の地上波TV放送は激減した。プロ野球が“筋書きのある”ものだったら、TVから消えたプロレスと同類の「スポーツ」でしかない。

 バレンティン選手が本塁打記録を更新できたことが、日本のプロ野球がオープンでフェアな勝負を楽しむプロスポーツになったことの証しであれば、嬉しい。守るべきは、誰かの記録ではなく、フェアな競争の場であることをを保つことだ。