望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり




夢か情熱か志か


 「夢を持て」と若者に言う人がいる。夢を持つことは大事だと、うっかり同意したくなるが、待てよ、若者が何を夢とするかは、まちまちだ。「平和な世界にしたい」やら「プロ野球選手になりたい」「人気歌手になりたい」などというものから、「正社員になりたい」「公務員になりたい」などまで、人によって夢が意味するものは幅広い。夢と願望の区別はつけにくい。



 何を夢とするかは、客観的に決められるものではなく、あくまで主観でしかないから、その人の直面する状況によって、夢の内容は変化する。例えば、「プロ野球選手になりたい」という夢を持っていた人が、プロ入りした後は、1軍でプレーすることを夢にし、更には、タイトルをとることを夢にするかもしれない。もちろん、夢を“発展”させることができるのは少数だろうが。



 「夢を持て」と推奨されるのは、その夢の実現に向かって当人が努力することが期待され、時には、当人に自覚や努力を促すためである。だから、実現可能性はさておいて、どんな夢でもいいからと、まず「夢を持つ」ことが促される。自分の将来について、何も考えないよりは、届かぬ夢であってもマシだということかもしれない。



 子供にとって夢を持つことは大切なことかもしれないが、大人にとっては、どういう意味があるのだろうか。思いどうりにならない現実を受け入れ、現実に対応して生きることを覚えるのが大方の大人だろう。そうした大人が持つ夢は、「ジャンボ宝くじに当たりたい」だったりするのかな。



 米の大学の卒業式で、来賓スピーチの決まり文句の一つは「情熱を傾けるものを持て」だという。似たような言葉ではあるが、「夢を持て」よりは、実際的で現実的な言葉だ。実現すべき対象が夢だとすれば、「情熱を傾ける」はポジティブな取り組み姿勢を意味する。夢は主観でしかないが、ポジティブな取り組み姿勢は客観的にも評価可能なものであり、そういう姿勢は、例えばビジネスなどでも役立つだろう。



 ポジティブな取り組み姿勢を身につけることは、人生を切り開くには役立つ。「プロ野球選手になりたい」「人気歌手になりたい」などの実現のために情熱を傾ける人もいようが、ポジティブに取り組むという生き方を身につけたなら、情熱を傾ける対象が変わったとしても、積極的に生きていくことができそうで、大人になりかかっている人へ向ける言葉としては適していそうだ。



 「目標を明確にしろ」という言葉も若者に向けて語られることが多い。長期的な目標を決めて、それを実現するためには何が必要かを考え、「今日やること」「今月やること」「今年やること」などと短期的な目標を設定して、それらを着実にこなしていくことで、長期的な目標の実現に近づいていく。夢よりも目標は現実的な設定になるだろう。



 最近はあまり聞かれなくなったが、昔は「志を持て」という言葉が若者に贈られた。夢や目標よりも志は個人の理念に関わってくる言葉だ。理想的な世の中にするために努力することであったり、規範に則って恥ずかしくない生き方を貫くことであったりする。「志を高く持て」などと、個人の利害、願望にとらわれることを戒める言葉もあった。



 夢を持つことも、情熱を傾けることも、目標を持つことも、志を持つことも、若者に期待する言葉だ。まだ社会的には“微力”な若者にとって世の中は見通しがあまり利かず、理不尽なことが多く混沌としたものかもしれないが、切り開いていくしかない。そのために役立つのは、夢か情熱か目標か志か。