望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

100年前は1921年

 100年前の1921年の日本では、生活難などから自殺が急増した一方、各地で解雇に反対する人々による同盟罷業や小作料減額を要求する争議などが増加し、大阪では失業者大会が開かれた。川崎造船・三菱造船での3万人参加の争議では政府がデモを禁止し、軍隊が出動した。借家争議も多発し、各地で借家人同盟が結成された。

 社会が安定しない中、9月に朝日平吾安田財閥創始者安田善次郎を刺殺し、11月には中岡良一が東京駅で原敬首相を刺殺した。婦人労働者の増加で東京に乳児預所が初めて開設され、三越呉服店の女店員の事務服が制定されたこの年、九州炭坑王の妻・柳原白蓮が宮崎竜介のもとに走り、身分違いの恋と話題になった。

 政界では紛糾を続けていた宮中某重大事件が、皇太子妃内定に変更なしとの2月の政府発表で収束し、裕仁皇太子は欧州訪問に旅立った(元老・山縣有朋は政治的な影響力を失った)。だが、10月の大正天皇病状悪化の発表で株式・錦糸・米相場が下落し、11月には大正天皇の病状悪化により裕仁皇太子が摂政に就任した。

 独映画「カリガリ博士」が公開されたこの年、「船頭小唄」「枯れすすき」「めえめえ子山羊」「七つの子」「赤い靴」「青い目の人形」「てるてる坊主」「どんぐりころころ」などが歌われ、「暗夜行路」(志賀直哉)、「冥途」(内田百間)、「愛と認識との出発」(倉田百三)、「支那革命外史」(北一輝)、「特殊部落民解放論」(佐野学)、「空想的及科学的社会主義」(堺利彦訳)などが出版された。

 世界では、第1次世界大戦の敗戦国ドイツに課す賠償金が暫定的に2690億マルクとされたが、支払い能力を極度に上回る額であったためドイツは拒否し、5月に総額1320億マルクで決着した。だが、その額もドイツの支払い能力を大幅に上回るものであり、翌22年には支払い困難となった。

 12月には日英米仏が4カ国条約に調印、太平洋の島嶼領地や権益の相互尊重などが決められ、日英同盟の更新は行われず、失効した。日本と米国の関係悪化から英国は、日米が将来開戦すれば英国は米国と敵対する立場になることを懸念したことと、ドイツ帝国の崩壊で日英同盟の必要性がなくなったと判断。

 この年、世界では次の大乱の芽が出始めていた。1月には伊ボローニャファシスト共産党が衝突し、全国に波及した(11月にローマでファシスタ全国大会)。7月にはドイツでヒトラーナチス党首に就任し、上海では中国共産党の創立大会が開催され、米国ではサッコとバンゼッテイに有罪判決が下され、南部でKKKが活動を活発化させていた。