望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

凶を愛でる

 神仏の存在は信じないが寺社の建物が好きで、見かけるとつい立ち寄ってしまうという友人は、おみくじのファンでもある。おみくじをひいて、そこに書かれていることを面白がるが、未来を予言しているなどとは考えない。大量に印刷されているおみくじに、個別の人間の未来が書き込まれているはずがないと友人。

 そんな友人が自宅に近い神社に初詣に行き、おみくじをひくと「凶」と出た。そこの神社で友人は何度も「大吉」をひいたことがあり、今年も「大吉」を期待していたので「凶」は驚きだった。おみくじを再度ひき直して、せめて「小吉」ぐらいを手にして帰宅したいと友人は思った。が、それは、おみくじの御託宣に左右されたことになると考え直し、「凶」も面白いと受け入れた。

 友人に見せてもらった「凶」のおみくじには、最上部に「さみだれに ものみな 腐れはてやせむ ひなも都も かびの世の中」の和歌があり、救いのない状況が示される。ものみな腐れ果てた世界に生きることは、絶望に駆られ、やけになって乱暴に振る舞うか、生き延びることに必死につとめるか、人間性が試される。ものみな腐れ果てた世界を客観的に定義することは難しいが、主観的に、そんな世界に見えることは誰にもあろう。

 おみくじの運勢の欄には「気運は落ち込んでいるが、誘惑に負けず酒色に溺れず堅固な意志と努力を続ければ、自ずから幸運の時が開ける。神様を信奉しましょう」(大意)と、前向きに生きることを促す。自ずから幸運の時が開けるとは、幸運も不運も自分次第だということ。つまり、運命は自ら切り開くしかないということだ。でも、おみくじが、御託宣などに頼らず、自分で切り拓けと告げるのは、おみくじの自己否定のようで面白い光景だ。

 項目に分けて細かく占っている欄を見ると、願望は「上昇の機運。神様に感謝せよ」とあるのは凶よりも運勢が下がることはないということだな。恋愛は「最初の愛は稔り難いが、神様のお引き会せあり」で、病気は「一応よくなる」、旅行は「注意して旅立て」、事業は「信頼を得れば栄える」と、運勢欄の「堅固な意志と努力を続ければ、自ずから幸運の時が開ける」を具体化したような言葉が並ぶ。

 凶の運勢だから悪い予言が並ぶとの友人の不安に似合いそうなのは、失物の「探しても出てき難い」、待人の「来るが、倖せ少なし」、相場の「一度は勝つが続かない」ぐらいか。人が凶のおみくじから連想するのは八方塞がりの状況だろうが、ひいた人を励ます文言が並ぶ。幸運も不運も交互にやってくるが、そう極端には振れず、驚愕するような幸運も不運も人生には滅多にないということなら、この凶のおみくじを含め、どんな運勢が出ても、それなりに現実的だと受け止められよう。だから、おみくじのシステムは生き残っている?

 凶を得た友人は、心を新たにし、今年は誘惑に負けず酒色に溺れず堅固な意志と努力を続けると決意した……わけでもなく、悪いことに遭遇しかねないと警戒心を高めてもいない。凶は大吉と同様の少ない確率の御託宣だろうから、その運勢を甘受して味わってやろうと決めた。今年は凶とともに生きるのだそうだ。