望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





個人と国家


 外務省によると、世界には日本が承認している国が194あり、日本を加えて195の国がある(日本が承認していない北朝鮮を加えると196。国連加盟国は193。2013年)。世界の人口は71億4000万人以上とされ、年間7000万人増える(1日で20万人、1分で137人増える計算。亡くなるのは年間6000万人、誕生は年間1億3000万人)。



 71億4000万人を国数196で割ると、1国平均3600万人強ということになるが、こんな平均値には意味がないかな。人口が多い国は1位中国(13.54億人)、2位インド(12.14億人)、3位アメリカ(3.17億人)、4位インドネシア(2.32億人)、5位ブラジル(1.95億人)などとなる。日本は10位で1.27億人。EUは27国合計で4.9億人。



 こんなに多くの人間が世界に存在しているが、その考えていることは一人ひとり違っている。例えば、自分が属している国の政府を支持している人もいれば、批判的な人もいる。政府を支持している人だって、全ての政策を常に支持する人は少数で、時と場合によって政府を支持するというような人が多いだろう。



 だから、あるA国人とA国政府の見解は同じであるとは限らず、A国政府が異様な見解・行動を続けても、A国人も同様に異様であるとは限らない。個人は自由な存在であり、国家に隷属するものではない。A国政府に批判的なA国人もいるだろうし、A国政府が強権的な政権だったなら、批判や異議を唱えることを制約されているA国人もいるだろう。



 しかし、A国政府の異様な見解・行動が日本に伝えられ、マスコミ報道などで増幅されると、全てのA国人も政府同様に異様であるなどと、つい受け取りやすい。個人は国、政府から独立した存在である(はず)ということを失念して。だからA国政府が異様な日本批判などを続けていると、A国人も皆、A国政府に同調しているのかと嫌悪を感じたりする。



 もちろんA国政府が異様な見解を表明し、異様な行動を行うことにより、そうした見解・行動にA国人が感化され、そうした見解がA国内で支持を拡大する可能性がある。そうなると、A国政府の異様な見解を支持するA国人が増えるだろう。政治権力に常に批判的で、政府の見解に決して同調しようとしない人もA国人の中に存在するだろうが、A国政府の異様な見解・行動の陰に隠れて、外からは見えにくくなるだろう。



 国家=政治権力であると理解するなら、異様なA国政府とそれに同調するA国人からは距離を置いていればいいが、国家は人間の社会集団であり、様々な文化、習俗などを含む。A国の文化、習俗などのファンの外国人は、異様なA国政府の見解・行動が、A国への誤解を促進しているようで残念に思うだろう。



 政治権力は転変するものであり、異様な見解・行動が永続するわけではない。ただ、ある政府による異様な見解・行動の政治的な影響は、政府が代わっても国内外に残り、A国は異様な国であるとのイメージをぬぐい去るには時間を要することになる。