望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

マスクとトイレットペーパー

 マスクが全国の小売店の店頭から姿を消し、人々はマスクの争奪戦を続けている。政府はインターネットでのマスク転売を禁止し、メーカーに増産を促し、さらに国がマスクを確保して北海道の一部地域での配布を開始した。

 マスクが店頭から姿を消したことについて、人々の行動を批判する声はあまり見られない。外出するときにはマスクが必要だとの了解が社会にあるらしく、マスクを探し回る人々に対しては同情的だ。健康な人がマスクを着用する必要はないとの専門家の見解もあるが、マスク争奪戦を批判する動きは乏しい。

 トイレットペーパーも店頭で品薄になった。「トイレットペーパーの製造元が中国で、トイレットペーパーが入ってこなくなる」とのデマが広がり、人々が買い漁った。やがて、トイレットペーパーの生産はほとんど日本国内で行われているので、供給が途絶えることはないと判明し、トイレットペーパーに殺到した人々に対して批判したり、揶揄する声が現れた。

 欧米メディアも日本におけるトイレットペーパーに殺到する人々を批判・揶揄する記事を掲載した。しかし、欧米で新型コロナウイルスの感染が広がり、欧米でも人々がマスクやトイレットペーパーの買い漁りを始め、店頭から品物が消えた。欧米メディアは、自国の人々の動きとなると、気楽に面白がって批判・揶揄することはできないらしい。

 必要がないのに買い漁ったとトイレットペーパーを買い急いだ人々は批判されたが、マスクを買い漁った人々に対する批判は乏しい。マスクは新型コロナウイルスの感染拡大で必需品となったから人々が探し回るのは当然視され、トイレットペーパーを買い漁る人々はデマに振り回された人々だと批判された。

 マスクが店頭から消え、のんびり構えていた人々は慌てて探し回ったが、入手できない。トイレットペーパーのような日用品にも買い漁りが始まり、品薄になったと報じられれば、人々が探し回るのは当然の行動だろう。デマに踊らされたなどと批判があっても、現実に品薄になったのだから、トイレットペーパーを入手しようとする人々の行動には、ある種の合理性がある。

 デマに踊らされた人々が動いて市場に影響を与えた場合、市場の動きに対応して他の人々が行動することは、愚かさによる行動と断言できない。株式市場などでは、大勢が買いに動いて暴騰すれば自分も買い、大勢が売りに動いて暴落すれば自分も売ることは当然の行動だ。

 「一犬影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ」とか「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」という言葉がある。個人が自己の利益を最優先して動き、それが社会を動かす。デマに踊らされた人々は愚かだが、愚かな人々も社会の成員である。誰もが常に正しい判断をするわけではなく、誤った判断をする人々を包摂して社会は成り立っている。