望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

どちらも変

 中国も日本批判を激しく行っている。ただ、こちらは韓国外交よりは、日本批判に転じた動機が理解しやすい。2012年9月に日本が尖閣諸島を国有化したことが、1968年以降に主張し始めた中国の領有権を侵しているということだろう。「棚上げ論」を日本側が破棄したのだから、中国側でも、尖閣諸島の領有権の主張を公然と具体的な行動で示すとの判断だろうと理解できる。



 ただ、そうした主張が言葉による外交交渉にとどまらず、いきなり、中国内での反日デモによる大規模な破壊行動や、尖閣諸島周辺への中国艦船派遣による領海侵犯などになって現れるというのが、いかにも乱暴だ。中国には民主主義による政治の経験がなく、国際政治においても、武力を伴わない交渉の経験が浅いこともあって、言葉による交渉を軽んじる傾向がある。



 自分側の主張が通らない事態になったからといって、いきなり“実力行使”というのは、経済規模で世界2位という国の振る舞い方としては軽率で、異様に見える。武力で目的を達成するという暴力革命原理に基づく外交なのかもしれないが、時代錯誤の砲艦外交にしか見えないのが残念なところだ。



 中国が外交で言葉を使わないわけではない。反対に、激しく居丈高な言葉を声高に言い立てて日本を批判する。しかし、それらは、決められたスローガンを繰り返しているようでもある。相手を説得しようという言葉ではないし、聞いている第3者を納得させ、共感を得ようという言葉でもなく、自国正当化の主張でしかない。



 第3者を意識して中国が持ち出すのが「歴史問題」だ。これは、中華民国(台湾)から受け継いだ戦勝国としての立場を活用して、敗戦国(日本)は戦勝国の言うことに従っていればいいんだ……というようなニュアンスを滲ませている。1945年に存在していなかった国が、21世紀になって、自国を正当化するためには、戦勝国であることしか日本向けの“カード”がないのだとすれば、まともな外交ができるはずもないか。



 中国、韓国ともに「歴史問題」を持ち出して日本に圧力を加え、自国に有利なように国際世論を誘導しようとするところは共通している。が、中国は“哀れな被害者”を装わないところが韓国と異なる。日本軍と戦闘を続けていた経験を持つ人々と、植民地だった人々の意識の違いから来ているのかもしれない。それと、「歴史問題」を利用しようとする中国と、「歴史問題」にすがる韓国の違いもあるかもしれない。



 異様とも映る対日批判を続ける両国だが、韓国は、韓国に都合のいいように日本が変わることを期待しているようだ。だが、自分に都合のいいように相手が変わるなどと期待するのは未熟な考えであり、未熟な交渉術でもある。中国は韓国とは違う。帝国としての歴史があり、大国としての自負もあるからか、自国に都合のいいように相手国を力づくでも変えるという発想があるようだ。問題は、大国意識に見合うほどの、他国から一目置かれるような交渉術を備えていないことだろう。