望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

中華民国の存在

 

 1945年の敗戦以降の日本はY・P体制の下に置かれた。Yはヤルタ協定で、1945年2月にスターリン、ルーズべルト、チャーチルが会談して、ソ連の参戦の見返りに南樺太、千島列島などのソ連引き渡しを密約したもの。Pはポツダム宣言で、1945年7月にトルーマンチャーチルスターリンが会談して、全日本軍の無条件降伏などを日本政府に突きつけたもの。蒋介石は関与していないが、共同声明者として加わった。これらは国会図書館のサイトで読むことができる。



 ポツダム宣言には「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」という条項がある。カイロ宣言は1943年11月にルーズベルト、チャートル、蒋介石が会談し、台湾の中華民国への返還、朝鮮独立などを求めた声明。ただ公文書は残されていないので、外交文書としての効力に疑問も出されている。



 このポツダム宣言を都合よく“活用”しようとしたのが中国の李克強首相で、2013年に独ポツダムで演説し、尖閣諸島を念頭に、ポツダム宣言は「日本が清国人から窃取した一切の地域を中華民国に返還する」としたカイロ宣言の履行をうたっていると指摘した。独など欧州の人々へのアピールを狙ったもので、尖閣諸島の歴史を知らない人にはそれなりの説得力を持つかもしれない。



 李克強首相は「何千万人の生命と引き換えに確立された平和と戦後秩序を堅持しなければならない」とも述べたそうだ。「何千万人の生命と引き換えに」などと中国の首相が言うと、つい、大躍進や文化大革命などで中国内で殺されたり、死んだ人々のことを隠さずに追悼するようになったのかと早合点したくなるが、もちろん、この何千万人とは、共産中国になってからの中国内での犠牲者のことではない。



 話を戻して、李克強首相の言う戦後秩序とはY・P体制のことだろう。歴史は勝者によって書かれるものであり、1945年以降は連合国側の視点で歴史は描かれる。ソ連がなくなってロシアになり、中国代表権が中華民国から共産中国に移ったが、ロシアも共産中国もY・P体制という秩序を都合よく使おうとする。



 とはいえ、Y・P体制にはネジレがある。それは、国連等で中国代表権を保持する共産中国とは別に、現在でも中華民国が存在しているということ。共産中国が「二つの中国」を認めず、他国に共産中国だけの承認を求めるのは国共内戦の勝者であることをアピールするためだろうが、中華民国を不可視の存在にしておかなければ共産中国はY・P体制の勝者の側に加わることができない。



 共産中国は北朝鮮とも韓国とも国交を樹立しているのだから、分断国家を認めているといえよう。だが中国だって分断国家であるという事実は、国際的には「言っちゃいけない」事柄になってしまった。尖閣諸島は台湾に属し、台湾は中国に属するから、尖閣諸島も共産中国のものだという筋立ては、中華民国が共産中国とは別の独立国として存在するとなれば破綻するし、カイロ宣言を共産中国が持ち出すこともできなくなってしまう。