望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





5人か1人か

 かつてNHKが放映した「ハーバード白熱教室」で取り上げられたテーマの一つがトロッコ問題。これは、暴走するトロッコの前方には作業中の5人がいて、そのままでは轢き殺されてしまうが、その手前に分岐路があり、トロッコの進路を切り換えれば5人は助かる。が、そちらでは1人が作業中で、その人が轢き殺されてしまう。さあ、どうしますかと問う問題。



 5人を助けるために1人の犠牲(死)を選択するという考え方もあれば、誰かの死を選択する権利は人間にはないので、何もするべきではないとの考えもある。神を信じる人ならば、神に任せるとの考えもあろうが、都合よく神が現れて全員を助けるはずもない。考えれば考えるほどに迷うが、トロッコは暴走しているので、その場にいたなら、直感で判断することになる。



 こうした問いに「正解」はおそらく、ない。5人を助けたとしても、その5人も、分岐路でトロッコの進行方向を変えた人も、トロッコに轢き殺された1人のことがいつまでも心に残るだろう。何もしなかったとすれば、分岐路でトロッコの進路を変えなかった人は、5人を助けるべきだったかと自問し続けるだろう。「正解」がない問いは厄介なものだが、現実世界にはその種の問いが珍しくない。



 トロッコ問題には様々な派生問題や類似問題があるそうだが、現実社会では、さらに様々な条件が加わり、さらに複雑な状況になったりする。例えば、問われるのが「人物Aの命か人物Bの命か」になったり、「相手の命か自分の命か」になったり。



 2013年に横浜市の踏切内で、うずくまっていた男性を助けようとして村田奈津恵さんが遮断機をくぐって踏切の中に入り、男性を動かしたが、村田さんは電車にはねられ、死亡した。男性は鎖骨を折るなどの重傷を負った。崇高な行為であり、ニュースを聞いて心打たれた人は多かっただろう。現場には献花が絶えなかったという。



 神奈川県、横浜市、神奈川県警は感謝状を遺族に贈呈し、政府は安倍晋三首相名の感謝状を授与し、人命救助した人が対象の紅綬褒章の授与を決めたとか。それらに異論はないものの、自分の身の危険を考えずに助けに向かう行為が「正解」だと鼓舞されているのだとすれば、ちょっと待てよと言いたくなる。まあ、深い狙いはなく、村田さんの行為に政治家らも感動しただけなんだろうが。



 同様の状況では、近づいてくる電車を見て多くの人は動くことができないだろうし、普通はできない行為だからこそ美談になったのかもしれない。今回の自己犠牲が「正解」であったとしても、村田さんと同じように行動できる人は極めて少ないだろう。だから、ほかにも「正解」がありそうだ。



 今回、誰も踏切の中に入らず男性が轢かれて死亡したとしたなら、小さなニュースで終わっていただろう。2012年までの5年間に踏切事故は1598件発生し、599人が死亡しているというから、踏切事故は日本では珍しいものではない。鉄道会社や行政に踏切の安全対策を強化するよう求めるのも「正解」だろうし、自分の身の安全を優先するのも「正解」だろう。注意すべきは、自己犠牲が「正解」だと政治家が誘導し始めたなら、眉にツバをつけることか。