望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

場外乱闘

 スポーツはルールを競技者が守ることで成り立っている。マラソンで設定されたルートを無視して競技者が走ったり、自由に手を使うサッカー選手がいたり、土俵を無視して力士が取り組みを続けたり、競技能力を高める薬物を好きなように乱用する競技者がいたりすれば、勝敗の意味も価値も損なわれる。競技者が同じ条件下で競うことで、勝敗の公平さが保たれる。

 だが、プロレスでは選手はリングの中でも外でも闘う。商業的なショーと見なされているからプロレスでは、観客に近い場外での乱闘は欠かせないお約束の展開で、派手に殴り合ったり、コーナーポストからの飛び蹴りを相手は待っていて受けたりする。一気にエキサイトした情景を演出し、観客は喜ぶ。

 スポーツでは競技者は勝利を目指して競うが、プロレスでは勝敗に重きが置かれることは少ない。商業的なショーであるプロレスでは、様々な演出が組み込まれているのだから、勝利の意味はスポーツとは大きく異なり、観客を喜ばせることが重視される。場外乱闘は観客のすぐ近くで選手が闘い、その肉体を間近で見せ、汗を飛び散らせ、打撃音などを響かせるのだから見せ場になる。

 政治の世界もスポーツに似て、様々な「ルール」がある。そのルールは国によって異なり、いわゆる民主主義国と中国など独裁国家ではルールは異なるが、それぞれのルールに反した場外乱闘めいた混乱や暴動などを厳しく取り締まることでは姿勢は同じだ。つまり場外乱闘は政治の世界で許されないことでは世界は共通する。

 政治における場外乱闘とは暴力で政治家を排除したり、議会を停止させたり、社会を戒厳令下に置くことだったりと、それぞれの国の政治のルールによらずに暴力で政治状況を変えることだ。政治のルールが硬直化して人々の意思が反映されなくなった時には、人々の暴力によって社会が「脱皮」することは歴史的な必然であろうが、自由選挙が行われているのに負けた側による暴力は場外乱闘であろう。

 米国での「場外乱闘」をトランプ氏は実現させた。民主主義を振りかざす米国において暴徒による議事堂襲撃を実現させたのだからトランプ氏の影響力はかなり大きい。その影響力をトランプ氏が批判者をも納得させる方向に駆使していれば、トランプ氏は米国の歴史における偉大な大統領として位置付けられたかもしれない。

 プロレスでの場外乱闘を観客は歓迎するが、政治における「場外乱闘」は人々に歓迎されるとは限らず、失敗した場外乱闘は社会秩序に対する脅威として位置づけられ、批判されるだけだ。トランプ氏はその影響力の行使を間違えた。今回の敗北にこだわらず、次の勝利を目指すならば場外乱闘は余計な一手だった。