望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





受け継がれるもの

 2002年に第一勧銀、富士、興銀が合併して誕生したのが、みずほ銀行。傘下の信販会社オリコが扱う自動車ローンなどで暴力団組員ら反社会的勢力との、件数で230件、融資額で約2億円になる取引が存在していたと2013年に明らかになった。みずほとの提携ローンであり、みずほ銀はトップも暴力団関連の取引の存在を知りながら放置していたことが判明し、批判を浴びた。



 反社会的勢力との関係といえば、第一勧銀には過去がある。97年に当時の第一勧銀の本店に東京地検特捜部の捜査が入った。総会屋・小池隆一への利益供与が容疑だったが、その後、事実が解明されるにつれて一大スキャンダルに拡大して行った。概略はこうだ(「会長はなぜ自殺したか」=新潮文庫=による)。



 小池は元手なしで銀行から、直接、間接合わせ総額460億円の資金を引き出していた。小池のバックには、第一勧銀の合併に絡んで当時のトップに食い入った木島力也の存在があった。木島は児玉誉士夫らと近い経済界の裏側で蠢くフィクサーで、歴代の第一勧銀トップとも「親密」な関係は引き継がれた。



 60年代末に児玉は神戸製鋼所の内紛に介入、その時に動き回ったのが木島だった。第一銀行の有力取引先である神鋼の内紛収拾に関与したことで木島は第一銀との関係を築いたともいう。そうした関係が、合併で第一勧銀に受け継がれたとも見える。ちなみに、自殺した宮崎邦次は当時の第一銀行の神戸支店次長。
 


 さらに、88年に第一勧銀の麹町支店の課長が36億円の不正融資を行っていたことが判明、株主総会は大勢の総会屋で荒れると見られていたが、当日はほぼ平穏に終了した。この株主総会を与党総会屋として仕切ったことで、木島や小池の存在感が第一勧銀内で決定的に高まったという。



 第一勧銀には反社会的勢力への巨額融資の過去がある。小池以外にも、総会屋へ直接、間接に融資していた。もちろん、そうした融資を受けた反社会的勢力が律儀に返済することはまれで、大半が焦げ付く。銀行側だって承知の上の融資だ。つまり、利益供与。



 第一勧銀は合併後もD(第一系)、K(勧銀系)のたすき掛け人事が尊重されたことは知られているが、D、Kから受け継いだ微妙な案件についても互いに触れずに済ませ、その結果として木島らが合併後の第一勧銀でも、大手を振って振る舞う余地が生じたといえる。



 今回の融資問題でもみずほ銀の内部で、オリコは第一勧銀の案件だから第一勧銀系が処理すべきとされ、富士や興銀の出身者は座視していたともいう。さんざん第一勧銀で繰り返してきた旧行意識の弊害が、3行合併のみずほ銀にも受け継がれたのかもしれない。