望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





弾まない会話

 弾まない会話というものがある。あまり親しくない相手と同席せざるを得なくなり、互いに気を使って話題を探すが、二言三言で話が続かなくなることを繰り返したり、相手が“受け身”の姿勢で話題を探そうともしない時などには、心の中で「この人は、話したくないのかな?」などと疑いを持ちつつ、弾まない会話に徒労感が増すばかりとなったりする。



 親しい関係でも、会話が弾まないことはある。誰かの体調が思わしくなかったり、気にかかっていることがあったりと原因は様々だが、そういう時には気まずい沈黙がふいに訪れたりし、いつもなら会話に没入しているはずが、ふと我に返ったりする。会話が弾まないことに気がつくと内心であせったり、耐え難かったり、寂しい思いをしたりする。



 会話が弾む時には、互いの言葉のやり取りが会話をいっそう促す。誰かの言葉が次の誰かの言葉を引き出し、さらに次の誰かの言葉を引き出す。内容を変えながら言葉がキャッチボールされているかのようでもある。もし言葉に反発係数があるのなら、弾む会話の時に交わされる言葉の反発係数は、きっと高いだろうな。



 弾まない会話で交わされる言葉は、当たり障りのないものであったり、どうでもいいと聞き手に感じさせるものであったりする。心が乾いていたり、何かが気にかかっていたり、相手や周囲に対する関心が低かったりすると、反発係数の低い言葉が発せられるのかもしれない。そんなときの言葉には本来の言葉の意味に加えて“水分”が多すぎて弾みにくくなっているのかも。



 ただし、反発係数が高い言葉は会話を弾ませるだけではない。会話が弾むにつれて親密さも増すが、逆の場合も珍しくない。何かの言葉で誰かがカチンときて、黙ってしまうならともかく、我慢できないと言い返したり、嫌みを言おうものなら、そこで交わされる言葉の反発係数は一気に高くなったりする。心が熱くなると、言葉も熱せられて“水分”が一気に飛んでしまうのだろう。



 そうした険悪な雰囲気の時にこそ、反発係数の低い言葉のやりとりで場を落ち着かせるのがいい。心が熱くなって、情緒に動かされやすい状態のときこそ、意識的に理性的な物言いをするのが望ましい。だが、相手の言うことが気に食わないからと反発係数の高い言葉を相互にぶつけ合っているような時には、冷静になれといっても無理だろうな。



 個人の間で、反発係数の高い言葉をぶつけ合って険悪な関係になろうと、それは当事者間の問題だが、外交で使う言葉が反発係数の高い言葉であっては、多くの人々が迷惑する。日本に向けて、一方的な主張を、時には礼を失したまま、意図的にぶつけてくる国が増えたように見える。厄介なのは、こちらも反発係数の高い言葉を投げ返さなければ不利になると早合点する手合いがいることか。