望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

私の自由よ

 首都圏などの電車内で化粧をする女性がいつ頃から存在したのか定かではないが、いわゆる迷惑行為の一つとして認識されるようになったのは、そう古いことではない。電車内での迷惑とされる行為には他に、きちんと座らない(足を広げたり投げ出したり、詰めなかったり)、混んでも頑張ってドア付近など場所を動かない、優先席を譲らない、大声での会話、リュックなどを背負う、飲食など様々ある。

 いずれも混雑している車両内だから迷惑行為とされるので、地方路線の乗客が少ない車両内で同様の行為をしても迷惑行為とはされないだろう。人口密集地における混雑時の電車内という特殊な状況ならではの迷惑行為であり、電車内で化粧すること自体が問題だというわけではない(自宅外の衆人環視の中で化粧する女性を好ましいと思うかどうかは個人の判断)。

 混雑時の電車内での化粧など迷惑行為を鉄道会社は禁止できないので、マナー向上の啓発活動をする。だが、鉄道会社が妥当だとするマナーを乗客に強制することはできず、また、乗客は常に流動しているので乗客全員がマナーの知識を持っているわけではない。さらに、鉄道会社が考えるマナーが必ずしも乗客から共感を得られるとは限らず、鉄道会社の押し付けだと感じて反発する人もいよう。

 根本問題は電車内の混雑を解消できないことだが、大都市圏への人口集中を鉄道会社が変えることはできまいから、マナー向上を啓発するぐらいしか手はない。混雑を不快と感じる乗客にも電車内の混雑を解消する手はない(自分が乗車しなければいいのだが)から、周囲の他人の行為を不快と感じたと投書したりする(だが、その場で相手に直接注意する人はごく少なく、見て見ぬ振りを周囲はする)。

 マナーが問題になるのは、共感や同意を得ることができない相手には、訴えが無力であるからだ。マナーは絶対の規範ではなく、推奨行為でしかない。だから、電車内での化粧を批判された人が「どこで化粧しようと、私の自由よ」と言い返すと、マナーを訴える側は、思い通りに行かない悔しさを抱きつつ引き下がるしかない。

 マナーを強制するには、①犯罪行為として法で禁止する、②マナーを守るように社会的な同調圧力を高めるーーのいずれかしかないだろう。周囲の人に実害がない行為を犯罪として禁止するのは現実には難しいだろうから、社会的な同調圧力を高める方向に動くことになる。マナーが徹底されないことによる不快感を共有する人々による同調圧力は、手強そうだ。

 同調圧力とは価値観の押し付けであり、「皆」で押し付けて個人は隠される(押し付けの責任は誰も取らない)。日本の社会は同調圧力が高いと批判され、個人の尊重が主張されたりするが、一方で人々は都合よく同調圧力を利用する。つまり、同調圧力に抗って「私の自由よ」と言い返す人は、自立した近代人なのかもしれない(あるいは、すごく自分勝手な人物か)。