望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

事実と解釈と分析

 メディア・リテラシーとは、新聞やテレビ、インターネットなどのマスメディアに乗る情報を理解し、事実関係の真偽、見解の妥当性などをチェックしつつ必要な情報を引き出す能力。マスメディアが流す情報を受け入れるだけでは、多くの知識を持っていたとしてもメディア・リテラシーが高いとはいえない。

 マスメディアが大量の情報を流す現在、受け身でいるのはメディア・リテラシーが欠如している状態だ。大量の情報の中から自分が求める情報を選び出し、チェックするには、必要な情報を自ら探すという能動的態度を意識することが前提となる。

 能動的態度とは、自分の視点で検証・批判することであり、自分で価値判断することだ。「面倒くさい」「いちいち、そんなことを、やってられるか」との反論もあろうが、それは大量の情報に対して受け身でいることを自己正当化しているだけだ。もちろん、情報に流されていることを許容するのは個人の自由だが。

 メディア・リテラシーを高めるには、マスメディアに流れる情報をまず分類すること。情報は大別して、①事実を伝える、②事実を解釈する、③事実を分析する、に分けられる。①に対しては事実関係の真偽を主に検証し、②③に対しては事実関係の真偽とともに見解の妥当性を検証する。

 新聞やテレビなどのニュースは事実を伝えているだけとされるが、表現や取り上げ方によって受け手を誘導することが可能だ。出来事のある面を強調したり、逆にある面を伝えなかったりすることで、受け手の印象を操作することは簡単だ。事実の切り取り方次第で見せ方を変えることができる。
 
 解釈と分析は異なるものだ。事実の解釈は主観に偏って行うこともできるが、事実の分析には客観性が要求される。解釈と分析の混同はインターネットの言説に多く見られる。解釈には飛躍が含まれているものが珍しくなく、「妙なことを考える人がいる」と受け流せばいいが、分析と解釈を見分けることができなければ受け手は誘導される。

 だが、メディア・リテラシーが高ければ、偏らない事実認識を必ず得ることができる……とは限らない。自己の主張を正当化する情報や言説だけを選んで受容する人は珍しくなく、政治や外交が絡む世界では、そうした自己正当化の情報や言説が溢れている。メディア・リテラシーが高いことと、正確な世界観を得ることとは別問題だ。