望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

明るいニュース

 「暗いニュースばかりで気が滅入る。明るいニュースがもっと欲しい」との声は、社会的な混乱や事件が続いた時などに多く現れる。それに応えてマスコミは、子供らの健気な行いや人々の善行を探し出して伝えたり、きれいに咲いた花々や可愛い動物の姿を紹介したりする。

 何が暗く何が明るいかの判断は主観による。マスコミが明るいニュースとして報じるものは、善行や助け合い、健気さ、前向き、なごむ行為、可愛い、きれいなどに関わるもので、人々の肯定的な気分を高める役割を負わされるが、メインのニュースとしては扱われず、視聴者や読者の気分転換のための話題提供にとどまる。

 ニュースは事実を伝えるものだが、事実だけを伝えるとは言い切れない。テレビのニュースや報道番組では、伝える側の価値判断に基づく様々な演出が施され、暗く伝えたり明るく伝えたりする。新聞や雑誌などでもニュースの扱いに伝える側の価値判断がまぶされ、出来事の事実とともに解釈まで受け入れるように導かれる。

 事実と、紛れ込んだ発信側の解釈を判別することがニュースの受け手に必要なのだが、情報リテラシーが乏しい人ならマスコミが報じるままにニュースを受け取り、情緒にも影響を受け、暗い明るいなどと誘導された印象を持つだろう。ニュースに付随する様々な演出や解釈を見分けることができれば、暗い明るいなどの情緒と事実を分けて見ることができる。

 多数の犠牲者が出た出来事をマスコミは暗いトーンで報じ、人は暗い印象に包まれ、たまらなくなって「明るいニュースがもっと欲しい」などと悲鳴に似た声を発する。そうした声を紹介してマスコミは、明るいニュースを提供する。これはマッチポンプの構図でもある。

 ニュースは事実だけを伝えればいいと考えるなら、事実には暗いも明るいもなく、様々な演出や解釈は全く余計なものだと見えてくる。ニュースを暗い明るいで判断している人は、情緒を優先して事実認識を軽んじていることを自覚していない。事実を事実として受け止める人が少ないから日本ではニュースに情緒が紛れ込む。

 明るいニュースが強調される社会はある。例えば、独裁体制では体制賛美や愛国主義を鼓舞するため、人々の前向きで「正しい」言動を讃えることがニュースになったりする。ニュースに明るさを求め過ぎると、ニュースの送り手側が判断した明るいニュースが増え、やがて、人々の批判能力が劣化し、批判精神が鈍化していくかもしれない。