望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

そういう見方もある

 例えば、世界の大学ランキングを英国の教育専門誌が発表すると、日本の大学の順位が上がったとか下がったとか日本のマスコミは詳しく報じる。ランキングは教育力、研究力、研究の影響力、国際性、産業界からの収入をそれぞれ指標化して決めるといい、論文引用数などが高く評価されるので研究重視の大学が高位に来るようだ。

 この種の国際ランキングは「そういう見方もある」と参考にしておけばいいだけだが、西欧からの評価をありがたがる日本人(と日本マスコミ)には、基準とすべきものとなっているらしい。だから、ランキングが正確なのかを検証する記事は乏しく、また、自ら世界の大学をランキングする能力がないので、発表されたランキングの適否を判断することができない。

 世界の大学ランキングで日本の大学の順位を上げる簡単な方法がある。それは評価項目に「日本語で全ての授業を行っている」を加えること(あるいは「自国語で高等教育を行っている」を加える)。たちまち日本の大学は世界の大学ランキングで上位に並ぶだろう。英語で授業を行うことを評価ポイントにできるなら、日本語で授業を行うことを評価ポイントに据えても不都合はないだろう。

 数多くある世界ランキング。これを作成するためには、第一に各国から情報を集めなければならない。GDPなど公表されているデータなら集めるのは簡単だが、ランキングの対象とする分野によっては公表データが乏しく、存在しない場合もあろうから、対象分野の様々な細かいデータを各国から寄せ集めることが必要になる。

 第二に、世界から集めたデータを評価して順位をつけるのだが、その時には評価の客観性が必要になる。何らかの意図や主観などによる偏りがないことを明確にしなければ信頼を得ることが難しい。だから、評価の客観性が必要になる(中国から何かの世界ランキングが発表されても無視されるのは、評価基準が信頼されないから)。

 評価を客観化するには、対象を複数の評価項目に分解し、それぞれに点数化する。部分の評価を集めて全体を評価する手法だ。点数をつける時に評価者の主観などに影響されるが、評価者を複数にすることで客観性を高める(=客観性を装う)。結果として数字で示された場合、人々は信じやすいようだから、点数化することは有効だ。

 データを収集して分類し、評価する。これは科学の方法でもある。できるだけ正確に現実の世界を理解するためには適した手法であろう。ただし、科学では分類や評価などは常に検証・批判にさらされる。様々な世界ランキングに対する厳しい検証・批判は目立たず、ただ、ありがたがるだけでは世界ランキングの信憑性は低いままだろう。美味しいラーメン・ランキングと大差がないのなら、「そういう見方もある」と受け流すのが正解だ。