日本政府の副総理・財務相が国会の質疑で、新型コロナウイルスによる日本での死者数が欧米より少ないことについて外国から「お前らだけ薬持っているのかとよく電話で言われ、おたくとは国民の民度のレベルが違うと言ってやると絶句して黙る」と述べた。
国会での発言だから事実を述べているのだろうが、不明な点が多い。第一に、日本だけ薬を持っているのかと発言した国はどこか。第二に、絶句して黙ったのは、日本の民度は高いと感嘆したからか、自国と比べて日本の民度が高いと遠慮なく自慢されたからか。後者ならば、財務相の率直な物言いに、あきれて絶句した可能性がある。
財務相の説では、新型コロナウイルスの死者数と民度には相関関係があることになる。強制されなくても政府の指示に忠実に行動する「お行儀のよさ(=民度?)」が新型コロナウイルスに対する抵抗力を高め、感染者数や死者数を欧米諸国などよりも少なくしているという理解が、医学的にも事実だと確認されたのだとすれば大発見だ。
財務相はぜひ、この大発見をWHOに報告すべきだ。ワクチン開発にはまだ時間がかかるだろうから、「お行儀のよさ」を人々に勧めることで感染拡大を防止することができると、日本の「成功体験」を世界で共有して、世界を救うべきだ。ブラジルやロシアなど世界各地で感染爆発が起きているのだから、国際社会で日本がリーダーシップを取ることができるに違いない。民度で感染を制御できるとの大発見は医学史上における偉大な発見であり、大いに国際貢献ができるぞ。
民度の意味は「国民や住民の生活程度、また、経済力や文明の進歩の程度」「ある地域に住む人々の生活水準や文化水準の程度」「 国民あるいは住民の生活の貧富や文明の進歩の程度」「その地域に住んでいる人々の経済力や文化の程度」などで、ざっくりと社会を見るための言葉だ。
生活水準や経済力、文化水準などは個別の細かい項目を設けて数値化できるだろうし、それらを総合して民度を客観化することができよう。だが、現在使われている民度という言葉には客観的な裏付けが希薄で、民度の高低は主観的に判断され、自国を誇るか他国を貶めるために都合よく使われている。
民度を客観的な数値で示すことができれば、世界各国を民度でランキングすることができる。そうなると、各国の民度の高低と政治の成熟度の関係が浮かんでくる。民度が高い国民や住民は、民主主義や人権を尊重する政治家を選ぶのか、ポピュリストを選ぶのか、権威主義者を選ぶのか。おそらく民度の高い人々なら、根拠がないことを主観で言いたてるような人物は政治家として不適格だと判断し、議員にさせないかもしれない。