望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

自由の女神

  画家ドラクロワの作品「民衆を導く自由の女神」は、1830年7月の労働者や学生、市民による蜂起を題材とした作品だ。右手に持った三色旗を高々と掲げ、左手に銃を持つ女性が中央に描かれ、女性に先導されるかのように、銃や剣を持った男たちが続く。足元には死者らが倒れているが、彼らを踏み越えて人々は戦いに向かう。

 王侯貴族らと新興ブルジョアジー、市民、労働者らが衝突したフランス革命とその後の政権争いでは、社会の混乱は長引き、何度も衝突が起き、多くの人が傷つき、死んだ。だが、王侯貴族の支配が打倒され、民主主義社会の先駆けとなったことで歴史的な評価は高く、多くの人が死んだからと否定的に見る人は少ないだろう。それは、蜂起に立ち上がった市民、労働者らの側から見る視点を受け継いでいるからだ。

 殺すことも殺されることも否定、拒否し、傷つけあうことを嫌悪するのが正しい歴史体験の伝承の仕方だとするのなら、人々の悲しみや苦しさなどの記憶を中心に語り継ぐだろう。だが、フランス革命では、多くの人が死んだことよりも、権利や自由を求めて立ち上がった人々への称讃や革命の意義などが伝承される。

 フランスのように革命により成立した社会では革命の精神を伝承することが正しいとされるが、戦後日本のように敗戦により成立した社会では戦争への拒否感を伝承することが正しいとされ、拒否感を維持するために戦争による個人の悲惨で苦しい体験にスポットを当てる。歴史を受け継ぐためには、感情よりも精神のほうが一般化しやすく適しているだろうが、敗戦の精神となると負け犬根性と見分けがつき難くなりそう。

 国家間の戦争と、人々が権利や自由を求めて権力と戦う革命とを同列に論じることには異論もあろうが、どちらも生命を危険に曝すことでは個人にとって似たようなものだ。敵国により殺された兵士や人々のほうが、自国の治安部隊により殺された人々よりも悲惨だとはいえまい。個人の悲惨で苦しい体験を伝承すべきとするのは、語り継ぐべき精神が先の戦争にはなかったことを示しているだけだ。

 戦争は悪であり、起きないことが望ましいが、戦争をなくすことはできていない。人々が傷つけあい殺しあう革命も起きないほうが望ましいから民主主義の制度を人間は整え、革命によらずに社会矛盾を解消して行く方法論を人間は見いだした。感情に基づく拒否感では戦争を抑止することはできないが、革命から受け継いだ価値観や精神は社会の基盤となり、安定させた。

 1945年以前の日本にも権利や自由を求める様々の動きがあったものの、制度としての民主主義は敗戦後の占領により実現した。だが、人々が立ち上がって獲得した価値観ではなかったため、人権や自由、民主主義などの精神が社会を強く支え、伝承されている……とは言い難い面がある。語り継ぐべき精神や価値観が希薄のままの戦後日本。敗戦で打ちのめされた人々に革命の精神を求めるのは無理があったか。