望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

「愛国者」という道化者

 かつて軍国主義教育が全国で強制されていた時代に教えられていたものの中にある、例えば、「父母に孝」「夫婦相和し」「朋友相信じ」などというのは、時代を超えて受け継がれるべき徳目であり、民主主義が定着しただろう現在においても教えることに問題はないとする考えがある。

 不思議なのは、そうした主張をする人が、軍国主義の時代の文書に拘泥することだ。時代を超えて受け継がれるべき徳目だというのが本当なら、それらを軍国主義教育と切り離して教えることは可能だろう。さらに、普遍的な徳目は軍国主義教育から切り離さなければ、普遍的な徳目への賛同に紛れさせて軍国主義の肯定につなげる狙いかと疑われるだけだ。

 軍国主義の結果として日本は戦争を始めたものの無条件降伏に追い込まれ、独立を失い、外国の支配下に置かれた歴史がある。日本の軍国主義は失敗に終わったというのが歴史的な事実であり、失敗した軍国主義を肯定するというのは珍妙な思考だ。さらに、失敗した軍国主義を肯定するのが愛国的とみなす向きもあり、珍妙さは一層増す。

 軍国主義の結果として無条件降伏した日本で、生き残った人々は苦しい生活を余儀なくされた。もう戦争は嫌だと多くの人は軍国主義的なものを拒否し、強権的な国家権力に対する嫌悪感や軍事に対する忌避感なども生まれた。それらは戦後民主主義を支えたが、戦後民主主義的なものに反発する人が、失敗した軍国主義を持ち出したところで、大向こうから喝采を得られるはずもない。

 かつて日本で愛国者とは軍国主義者かつ国家主義者のことであり、無条件降伏に追い込まれ、独立を失い、外国の支配下に置かれる日本に導いた人々のことであった。もちろん一般の日本人の多くも愛国心を鼓舞された愛国者であったが、彼らは無条件降伏した時に、戦争に敗けたことに怒り、指導者らを糾弾する自発性は持たず、敗戦を受け入れた。

 民主主義を尊重しつつ自国を愛するという愛国者像が日本では未だ確立されておらず、かつての愛国者イメージがなお強く残っているため、価値観の混乱が続いている。一方で、テレビに溢れる日本礼賛番組に見られるように、人々は日本が好きなのだろうから、軍国主義とも国家主義とも無縁な日本ラブという愛国者像も形成されつつあるように見える。
 
 時代を超えて受け継がれるべき徳目と称するものを、かつての国家主義軍国主義に紛れ込ませる愛国者が現れても、その珍妙さを「道化者が現れた」と大笑いできなかった日本人。過去のイメージの愛国者像を時代錯誤と笑い飛ばすことができる社会に、まだ日本はなっていないようだ。