望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

ウイルスと祈り

 新型コロナウイルスの感染が韓国で大規模なのは、新興宗教団体で集団感染が発生し、信徒が各地を移動して感染を拡大させたためだという。その団体の教祖は信者に「今回の病魔事件は(自分たちが)急成長しているのを悪魔が阻止しようと起こした仕業だ」などのメッセージを送ったとも報じられた。

 悪魔が自分らの宗教活動を阻止しようとしていると判断するなら、より堅固な信仰心で立ち向かわなければならないと宗教集団は信者を引き締め、集まって熱心に祈ることを正当化できるだろう。新型のウイルスの感染が広がっていると認識するより、 悪魔を持ち出すほうに現実感を感じるのが信仰者の感覚なのかもしれない。

 イランは中国に続いて感染が拡大した国で、感染者・死者ともに相当数になると見られている(中国同様に当局の発表数字は政治的に修正されている気配)。シーア派の聖地コムでの毎週金曜日の集団礼拝などに集まった人々から全土に感染が広がったといわれ、さらに中東の各国にも広がったという。宗教的な価値観を科学などより優先させる国情もあって感染拡大を抑え込むことに失敗した。

 世界には多くの宗教があるが、信徒が集団で礼拝することは共通する。数十人から数百人、数千人まで集団礼拝の規模は様々だが、集団礼拝の場はいわゆる3密になる。各国で宗教団体は感染拡大を恐れて集団礼拝を取りやめ、聖職者のみで儀式を行ってインターネットで中継するといった対応をとるが、信仰のパワーを信じて集団礼拝を強行する集団もあるという。

 新型のウイルスは人々の生命を脅かす現実的な脅威だ。いくら熱心に祈ったところで、信者が感染することを阻止することはできないだろう。だが、ウイルスによる健康や生存、生活などに対する現実的な不安が大きく、具体的な対処方法が乏しい中で人々の無力感は増すだろうから、祈ることの重要性が信徒にとって増すのかもしれない。

 世界をつくったのは神ではなく、物質は原子でできており、人間は哺乳類に属し、意識は脳内の電気信号の働きによることなど現実世界の構造が明らかになったが、人はなお宗教にすがる。現実世界に対して、祈ることしかできない宗教は無力だが、来世を設定することで宗教は生き延びている。

 来世の存在は検証不可能だが、来世が存在すると信じれば現世で信徒は祈るしかない。現実世界に無力な宗教は来世に対しても無力だろうが、それぞれに救済などのストーリーを持ち、来世に対して宗教は無力ではないとする。それを信じて信徒は祈る。

 日本の各地で神社や寺院が疫病退散などを祈る行事を行っているという。日本で宗教は此岸性が強いから現実世界の出来事に反応するのは珍しくないが、皮肉を言えば彼らの祈りよりも、例えば、丁寧な手洗いのほうがウイルスの感染拡大防止には効果があるだろう。