望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

欧米が問題を設定

 日本でも、LGBTの人々を肯定的に取り上げ、社会で受け入れようと啓蒙する記事が増えてきた。LGBTの人が急に増えたのか、黙っていた人々が声を上げるようになったのか、それともメディアが積極的にLGBTの人々の取材を行うようになったのか。LGBT関連の記事が増えた理由は定かではない。

 一つの推測は、以前からLGBTの人々による権利主張の運動が盛んに行われている欧米で、近頃は同性婚を法的に認める動きが広がり、それが大きなニュースになっているので、リベラルを好む日本のメディアも日本のLGBTに目を向け始め、欧米のリベラルに歩調を合わせようとしているとの解釈。

 欧米メディアによる問題設定や評価、論考などを日本のメディアが参考にし、追従することは珍しくはない。欧米の諸機関による各種の世界ランキングを、嬉しがったり残念がったりしながら「日本は@位」などと報じる記事も珍しくはないが、そうしたランキングの評価の「正しさ」を検証することはほとんどない。

 LGBTの人々の権利は尊重されるべきであろうが、欧米におけるLGBTの人々の置かれた状況と日本の状況とは同じなのか。欧米メディアに“影響”されて日本メディアが問題を認識しているのだとしたなら、書かれた記事も欧米メディアの論考に合わせたものになろう。価値観の判断を欧米に委ねているからだ。

 一神教が大きな影響力を持つ社会では、例えば、異性間の結婚は神に祝福されたものとするが、同性愛は神の摂理に反するものと見なし、偏見や差別、迫害の対象になってきた。ISが占領地で同性愛者を残酷なやり方で処刑する映像を公開するなど、社会的に容認できないとの考えがあった。だからLGBTの人々を社会的に承認、受け入れるということは大きな問題であった。

 欧米メディアに追従して日本のメディアがうっかり、LGBTの人々が置かれている状況は欧米も日本も同じだと思い込んで、宗教的な規範が強く残っている欧米と同じ問題設定で記事を書くと、日本の地から“足が離れた”記事の出来上がりになりかねない。

 日本ではすでに、性別の取扱いの変更が法的に認められ、性的指向性自認を理由とする偏見や差別をなくす啓発活動を行政が行ったりもしている。実際には偏見などが残っているから啓発活動が必要なのだが、日本では同性愛だけが抑圧されているわけではない。LGBTの人々を記事にしても強い反発が来ないだろうからと日本のメディアが取り上げているのなら、リベラルを気取るには格好の題材ではある。