望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

批判の矛先を他に向ける

 不祥事を起こした組織や企業のトップらが謝罪会見で「お騒がせしましたことを、お詫びいたします。申し訳ございませんでした」などと言ってから立ち上がり、深々と頭を下げてみせる光景は日本では見慣れた儀式となった。ニュース映像ではトップらが頭を下げる場面を必ず流すので「お騒がせしました」の言葉もついてまわる。

 こうした会見の場面は、不祥事そのものではなく、世間を騒がせたことに謝罪のポイントを移したようにも見える。責任を曖昧にし、できれば回避したいと思うトップなら、騒がれていることが問題だとし、騒がれていることを謝罪して責任をとったことにして騒ぎを終わらせたいと考えるだろう。

 組織のトップに権力が集中し、君臨している場合には、組織や企業の内部からトップの責任を追及する動きは鈍く、トップに責任を取る意思がなければ、そうした動きは封じられるだろう。誤りを正し、正しい方向へ組織や企業を動かしたいと思う人は皆無ではないだろうが、「猫の首に鈴をつける」には具体的に動いて賛同者を増やすことが必要だ。トップが独裁する組織の内部では、そうしたトップ批判の動きは権力闘争とみなされよう。

 中国共産党は最高幹部が集まる政治局常務委員会を開催、「今回の疫病への対処であらわになった欠点や不足に対応するため、我々は国の緊急管理制度を改善し、緊急かつ危険な任務に対処する能力を高めなくてはならない」とした。日本では、強権で独裁する中国共産党が「欠点と不足」を認める異例の「反省」を表明した等と報じられた。

 1党独裁を続けるためには無謬性が欠かせないと中国共産党は、事実などが不都合であれば隠蔽したり、修正したり、時には「政治的に正しい事実」に変えたりする。だから、今回の「反省」は異例だと解釈もできようが、これは中央政府から地方政府に向けた粛清宣言だと解釈した方がいいだろう。

 会議を主宰した習近平総書記(国家主席)は「直接の責任者だけではなく、主要な指導者の責任も問う」と述べたそうで、地方だけではなく中央でも責任を問われる幹部が出てきそうだが、権力を自身に集めた習氏は責任を負わないと見える。何百人いや何百万人が死のうとも1党独裁を続けてきた中国共産党だから新型コロナウイルスごときでビクつきはしそうにない。

 世界が注視する中で事実などの隠蔽には限度があるから、「誰が悪いのか、誰に責任があるのか」と中央政府が動く。責任を追及する立場に中央政府を据えることで、批判の矛先を他に向けるという仕組みだ。権力を握って君臨するトップから「誰が悪いのか」と問われて、「お前だ」と言い返すことができる人は居そうにないし、居たならば何かの罪状をつけて排除されるだけだ。