望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

殺されたマサオ氏

 民主主義を制度として支えるのは、主権者である人々の意思が示される自由な選挙が行われることで、自由な選挙を経て形成された権力に対して正統性が与えられる。だが、独裁国家では権力の正統性に客観性が希薄なので、軍事力などを掌握した個人や一派が強権により異論を抑圧することで体制を維持する。

 強権支配する権力が正統性を装うために、民主的な憲法を飾り付け、選挙を行ってみせたりもするが、投票率や得票率が異常に高かったりして馬脚が現れる。だが、高い支持率は人々からの信頼の現れだなどと強弁して独裁者は居座る。

 独裁国家で権力者が正統性の根拠に血統を掲げるのが北朝鮮だ。日本敗戦後に、ソ連の支援を受けて指導者になった金日成主席を神格化する北朝鮮は、その金日成主席の血筋であることを後継の独裁者の条件とする。専門家によると、金日成主席の血統は「白頭の血統」と呼ばれるそうだ。

 金日成首席は目覚ましい抗日パルチザン活動を行ったとされるが、実はソ連領の沿海州に逃れていたともいわれ、「英雄」であったかどうかは定かではない。しかし、北朝鮮では建国の指導者として独裁体制を確立し、自身を絶対的な忠誠の対象とした。親子でも人格は別のはずだが、独裁者ともなると、親が偉ければ子も偉いとされるようだ。

 北朝鮮では粛清が繰り返し行われてきた。金日成首席は抗日パルチザン出身者や政敵を粛清して独裁体制を樹立し、その体制を維持するために粛清を続けたとされ、権力を世襲した息子も政敵を粛清し、さらに世襲した孫も政敵を粛清しているとされる。

 数年前にマレーシアのクアラルンプール国際空港で女性2人に毒殺されたという金マサオ氏も、粛清されたと報じられている。マサオ氏は北朝鮮国内では政治的に無力だったというが、国外にいる反体制の北朝鮮人から亡命政府のトップに誘われていたと伝えられ、「白頭の血統」の威力を独占しようとする側を刺激したのかもしれない。

 北朝鮮人の亡命政権を樹立する動きが本当なら興味深いが、亡命政府の正統性のために「白頭の血統」を持ち出すところに発想の限界があり、徹底していたであろう思想教育の怖さがうかがえる。「白頭の血統」を否定しなければ民主主義に基づく国家は成立しない。せっかくの北朝鮮人による亡命国家というアイデアが、これでは時代錯誤の物語にしかならない。

 血統が権力の正統性を主張するという独裁体制を崩壊させるのに最も有効な手段は、血統を絶やすことだ。血統「内」で仲間割れするなら終焉は近いかもしれないが、粛清で維持してきた独裁体制の結末は凄惨なものになる。マサオ氏の殺害は、血統による正統性の歪んだ側面を示している。