望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

危機感を煽る

 危機感を煽るという手法は、演説や論説、ブログ、エッセイなどで広く蔓延している。危機感を煽ることには、聞き手を浮き足立たせ、自説への冷静な検証を抑制する効果もある。危機感を煽る当人は、切実な警告を発しようと“使命感”が先走るのかもしれない。でも、うっかり危機感に「感染」すると、踊らされることになったりもする。



 危機感を煽ることは、その言説に説得力があるように見せる手っ取り早い手法だ。専門家相手の論文なら、聞き手からの細かい検証を想定して緻密な論理構成が求められようし、根拠が不確かなことは書けまいが、一般相手には、分かりやすさがポイント。危機感を煽ることで、聞き手の情緒に訴えたほうがウケは良かったりする。



 危機感を煽るにも様々な手法があり、氷河が崩壊する様子や海上の氷に乗るシロクマの様子など温暖化の危機感をイメージ操作で煽るといったパターンはよく見かける。その一つ一つを冷静に考えれば温暖化とは無関係なのだが、温暖化の危機を示すイメージとして定着しているので、世論操作には便利。情緒に左右されやすいのが危機感なので、この種のイメージ操作は定番だ。



 各種のデータを散りばめて危機感を煽るのも、経済関係などではお馴染みのパターンだ。読み手に相応の知識があることを前提に、危機感を煽るのに好都合なデータを並べる。説得力がありそうなパターンだが、自説に不都合なデータがあってもスルーしている場合もあったりする。



 危機感といえば、陰謀論に付きものだ。大方の陰謀論は、邪悪な考えに取り憑かれた「敵」が陰険な策謀を巡らし、あれやこれやと仕掛けてきて、じわじわと守勢に立たされ、その結果として「我々」が不利益をこうむっていると説く。都合のいい解釈を組み立てているだけだと見破られないためには、受け手に危機感を持たせることが欠かせない。



 陰謀論では危機感を煽るために邪悪な「敵」を強大に見せる必要があるが、時には「敵」を強大化しすぎることもあって、冷静な受け手には「それほどのものじゃ、ないだろう」と見破られたりする。邪悪な「敵」を強大に見せることはヒーローもののドラマや映画などでは基本の演出で、最後には“正義”のヒーローが「敵」を倒してハッピーエンドになるのだが、現実には“正義”のヒーローも「敵」も相対的な存在。ドラマのようには現実はいかないので、陰謀論はいつまでも続く。