望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

集中から分散へ

 新型コロナウイルスの感染拡大により様々な行動変容を強いられた人々はまた、「これって、なくてもOKなんだ」と数々の見直しできるものがあることに気がついた。例えば、都会での通勤。リモートワークで業務に支障がないと明らかになってしまうと、朝早く起きて、わざわざ満員電車に詰め込まれて通勤する意味が問い直される。

 企業にとっても、高い賃貸料を払って広いオフィスを構え、通勤手当を払って社員を一堂に集める意味が問い直される。「これって、無駄な出費なんじゃない?」と見るようになると旧来の習慣は捨てられよう。新型コロナウイルスの感染拡大の終息を見通すことができない状況が続いているので、なおさら“無駄”な出費の見直しは加速する。

 社員をサボらせず業務に専念させるためにオフィスに社員を集めて管理することが有効だったのだろうが、インターネットなどの高度化が新たな管理方法を可能にし、さらに成果主義が徹底されるなら全ての社員を就業時間はオフィスに閉じ込めておく意味が薄れる。賃貸料など固定費の削減は収益に寄与するから経営陣は歓迎するだろうな。

 東京の渋谷などIT関係のベンチャー企業が集まる地区では空室率が上昇し、新規募集の賃貸料は下がり始めているという。以前からオンライン化を行っていた企業が完全なリモートワークに移行し、オフィスの縮小に動いたと見られている。ベンチャー企業と違って大企業は簡単には動けないだろうが、無駄と分かったものをいつまでも続けることはしないだろう。

 少し大きな地震に襲われるたびに鉄道など交通機関が機能しなくなる東京に大企業もベンチャー企業も集まり続け、危機管理に無頓着とも見えた。だが、社員が集まることを新型コロナウイルスが制約し、リモートワークで業務が可能と判明したことが企業行動の変化を促す。東京に通う各企業の社員が少なくなれば、地震後に各駅に大量に滞留する帰宅待ちの人々が減ることにつながろう。

 都心の広大なオフィスに社員を集める集中型の企業スタイルから、都心の縮小したオフィスには限られた機能を残し、社員が各地に住んで業務を行うという分散型の企業スタイルへの転換が進むなら、日本社会にも変化が生じよう。集中から分散へ人々の意識も変わるなら、東京一極集中などの是正につながるかもしれないが、そうした変化への最大の抵抗勢力霞ヶ関に集う官僚か。裁量権力の集中が官僚の地位を保つのだから、分散を嫌うだろう。

 東京への通勤者が減ると、飲食業や小売業などもビジネススタイルや立地などの見直しが必要になる。新たに需要が増えた地域などへ移転したり、リモートビジネスを活性化させたりするしかない。それはアルバイトなど学生の短期就業先の減少につながり、学生募集に影響が出てくれば大学なども東京集中を見直さざるを得ないだろう。