望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

「危機感」を疑え

 2010年に、こんなことを書いていました。

  日本は大変なことになっているようですな。何がって? このところの保守系の政治家の言うことには、「財政悪化で、日本は3年もたない」とか「日本が沈没しそうだ」とか「立て直さなければならない」、挙げ句の果ては「救国がどうのこうの」と……頑張ってくださいね。

 

 現在の日本に危機感を持つ愛国者がこんなにいたのか……と草葉の陰で三島由紀夫あたりが、うっかり感激しそうだが、「早とちり、しなさんな」と言い添えておきたい。彼らは危機感を弄んでいるだけで、腹を切ることはおろか、職を辞して1草莽として活動する覚悟もありゃしませんや。議員の身分にしがみついているだけ。

 

 そういえばTVでは毎日曜日に明治維新前夜を舞台にしたドラマをやっておりまして、攘夷だの開国だのと声高に叫ぶ志士たちが出てきますから、観ていて煽られたンじゃないかなんて冷ややかな声もあってね。あるいは竜馬ブームの影響で、危機感を煽ることだけで、自分はすでに何ごとかを為していると政治家連中は錯覚しているのかも。

 

 政治家連中は、大衆操作のために危機感を持ち出す。危機感を言い募って不安を煽り、自分らが「強い」政治家であるように見せ、頼りになると思わせ、票を集める。いつの世でも大衆は不安を感じやすいもの。世に盗人ならぬ危機感のタネは尽きまじと、政治家某氏は詠んだとか。





 危機感は、大げさな言葉や憂国の態度と連れ立って政治家から放たれる。それをまともに受けた大衆はソワソワし始め、同じように危機感を口にし始める。大衆の多くが、政治家の文言をオウム返しし始めたなら、政治家の勝利だ。改革、改革との文言で過去に選挙で成功したので、今度はもっと強い刺激が必要だと政治家は、危機感を煽るのかも。



  危機感を煽られても、落ち着いて、冷めて見ることが、政治家連中に利用されないコツだ。危機感の実態は何かと、具体的に検討、分析すること。何が問題で、どうするのが望ましいのか、望ましい方向へ行くためには、まず何をどうすべきかと大雑把に考えるだけで、政治家連中の危機感に踊らされないようになる。政治家が言う危機感は疑うべし。