望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

雪が行動範囲を広げる

 東京などでは冬に雪が降ることは数度しかなく、10センチも降ったなら、それは“大雪”だ。JRなど鉄道各線は運行を取りやめ、路上ではスリップしたり立ち往生する車が続出し、歩道でも転倒する人が増えて大混乱になってしまう。



 そうした雪に弱い都市の感覚で見ると、毎日のように雪が降り、積もった雪に覆われる北国の冬は、出歩くにも交通が不便そうで、閉じこもって寒さに身を縮めているしかないようなイメージかもしれない。都会人にとって雪は、旅行先で見るなら趣があるだろうが、都市の日常にとっては不便さの代名詞のような印象だろう。



 確かに雪は車道を埋めるので、自動車の交通を確保するにはこまめな除雪が必要になる。鉄道各社も冬には雪が降るたびに除雪に追われ、歩道は人々が協力して雪かきする。各地から人が集まって住み、産業が集積する都市で人・モノの移動は不可欠だが、雪はその脆弱性を突く。近代的な都市にとって雪は邪魔者でしかない。



 しかし、自動車が出現する以前の北国で雪は、人間の行動範囲を制約するものではなく、逆に、行動範囲を広げるものだった。クマザサや雑草などが丈高く茂る夏には、人は限られた道しか歩くことができないが、雪が積もったならカンジキなどを使って、クマザサなどの上に積もった雪の上を移動することができる。雪が土地を覆うことによって、“どこでも”道になるのだ。



 雪だけではない。川が冬に凍ると、そこが道になる。宮本常一氏は、大黒屋光太夫カムチャッカからペテルスブルグへ行ったことについて、「冬になって土が凍るのを待って行っております。当時は馬ですね。それに引かせて行くと非常に短い時間でペテルスブルグへ着いてます。あれは夏だったらたいへんだ。凍るということは、寒いということで行動が束縛されると考えがちですが、移動する者、旅をする者にとっては良い条件になるのです。あの広いシベリアを突っ走れるのは、低湿地帯も河もみな凍ってしまうからでしょ」(『日本文化の形成』ちくま学芸文庫)。



 北方圏というと、雪や氷に閉ざされ人々は孤立がちに暮らしているとイメージしがちだが、実は、その雪や氷が人間の行動範囲を広げる役目を果たしていた。宮本氏は前掲書で、交易は「夏になって樹木が繁っている中を往復するというのは難しいことだけど、冬凍りつくと橇でいくらでも行ける」とし、1500年以前の北海道のアイヌ文化が、シベリアの北方文化と通じていた可能性を指摘している。



 近代になって鉄道網が広がり、さらに自動車が増えるとともに道路網も整備されて交通の機能は格段に強化され、人の移動や物流が質量ともに増大した。そんな近代化された交通システム・物流網が、雪によって阻害されることになったのは皮肉である。機能を上げるほどに、自然に対する脆弱性が増すのは近代文明の宿命かもしれないが。