望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

なぜ解散・総選挙を要求しないのか

  委員長席に詰め寄り、実力で委員会の進行をストップさせようとする野党と、スクラムを組んで委員長をガードして採決を強行しようとする与党……同じ光景は過去に何度も繰り返されてきた。世代は変わり、議員も入れ替わっているはずなのに、同じ光景が繰り返されるのは、これが、与野党対立法案の決着のつけ方の1つだと定着しているからだろう。

 殴り合いなどが起きないのは、まだ与野党ともに自制が働いているからだとも見ることもできようが、乱闘もどきは馴れ合いの一種で「お約束」のパフォーマンスだから、それなりの作法が決まっているのかもしれない。みっともない光景には違いないが、これが日本の議会制民主主義の蓄積した成果の1つだとするなら、議員だけを笑ってすますわけにもいかない。

 本会議になると、さすがに乱闘もどきのパフォーマンスは行われないが、与野党対立法案の採決を妨害するため、与党側の議会関係者らの責任を問う決議案などが次々に提出されたり、長時間の演説をするフィリバスターなどが行われ(演じられ?)、採決になると牛歩戦術なども行われた。

 これらは過去に何度も日本の国会で繰り返されてきた光景で、特に野党は、最後の抵抗手段として“技”を伝承してきた。しかし、そうした抵抗手段によって与野党対立法案の成立を阻止できたことはない。結果として、それらの野党の抵抗手段は空振りだった。いや、マスコミが大きく取り上げ、野党の奮戦ぶりを伝えてくれるので、野党の存在をアピールするためには効果があった。

 日本では政権交代は滅多に起こらず、自民党が中心となる政権が長く続いてきた。そうした状況では野党が、選挙に勝利して政権を担うことを目指すよりも、議会内での抵抗に存在意義を見いだし、議会内での抵抗に一生懸命になることも不思議ではない。だが、それは数人から十数人程度しか当選させられない弱小野党の役割だ。

 野党第1党ならば、選挙で勝利して政権を担うことを常に目指さなければならない。かつての社会党のように、野党第1党でありながら十分な数の候補者を立てず、過半数をとる気があるのかと疑念を持たれたなら、イデオロギーにとらわれた観念論で政権攻撃を激しく繰り返しても、実際に政権を担当する気がないと主権者に見透かされる。

 選挙で勝利して政権交代を実現した経験がかつての野党第1党の民主党にはある。法案反対が過半の民意だとするなら、野党第1党は「民意を問え」と主張し、解散・総選挙を要求すべきだ。そして選挙に勝って、政権交代を実現し、政権を担って問題法案の修正に取り組む……でも、選挙に勝つ自信がなければ、そんな主張はできないか。

 民主党政権の迷走ぶりは記憶に残っている。いざ総選挙になっても、民主党の後継政党は20〜30議席増やすのがせいぜいだろうし、自民党の第1党も維持されるとすれば、総選挙の結果として問題法案に対する主権者の支持が示されることにもなりかねない。だが、それでも「民意を問え」と主張するのが野党第1党の責務だ。国会内でのパフォーマンスよりも、常に政権交代を目指す行動を優先することが、野党第1党を鍛える。