望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

決められない政治

  議員が議会よりも次の選挙での当落を重視することが、議会を存在感アピールの場に変質させ、議員が非妥協的に振る舞うので「決められない政治」を招いているのだとすれば、議員が選挙に気をとられすぎないようにすることは一つの選択肢だ。例えば、議員の任期を20年などと長期化し、さらには終身制などの導入。

 歴史を振り返ると、社会に身分制が存在した時代に、議会に参加する議員が貴族や有力者に限られ、終身制のこともあった。そうした議会が存在した頃の主権者(最高権力者)は王や皇帝であったりしたので、議会の役割は限定的。つまり議員は王や皇帝の補佐役の位置づけ。議員は選挙のことなど考えないが、それが議会の機能を充実させたわけではない。

 任期を長期化しても、例えば4年の任期で「機能」しない議員が、任期が伸びれば「機能」するようになると信じる理由は乏しい。目先の選挙だけを優先する人物は、資質面で議員に不適当である可能性が低くないからだ。加えて、長期任期や終身の議員が無能であることが明らかになった場合に、どう「取り替える」かという問題が出てくる。たびたび「取り替える」のなら、任期を長期化したり終身化する意味がない。

 次の選挙を意識しない議員は存在しないとするなら、議員の任期を1年などに短期化する選択肢もある。主権者にとって議員は「取り替え」やすくなり、議員は、当選してもすぐに次の選挙があるから自分の活動の成果を主権者に見せなければならず、硬直した議会は議員にとっても不利益になろう。ただし、任期を短縮化すると選挙回数が多くなるので、選挙の公営化を進め、金のかからない選挙にすることが必要だ。

 議員の任期を変えずに議会の硬直化を打開する方法には、国民投票の導入がある。「議員の3分の1の賛成があれば国民投票を実施しなければならない」などと決めておけば、乱用を抑制しながら、与野党の対立が激化して硬直した状況の打開策になるだろう。ただ、議員は予算や法案の最終決定権が奪われると国民投票に反対する。「決められない政治」に甘んじる議員にとって、最終決定権は飾り物でしかないのだが。

 誰もが立候補でき、誰にも当選する可能性がある現在の民主主義の行き着く先が、政党や議員が言い争いを続ける「決められない政治」なのかもしれない。でも、主権者の数が多すぎて意見集約が困難になっているからといって、特定の人々が主権者として独裁するような社会には戻れない。民主主義は完全ではない制度だが、封建制に後戻りすることに人々は抵抗するだろう。

 「決められない政治」が民主主義に反するものではないとしても、硬直した議会を主権者は望んでいない。おそらく、予算や法案などの具体的かつ細かな修正を議会が恒常的に活発に行うようになることが議会の活性化に最も効果的だろうが、最終決定権を官僚から議会(議員)が奪うことが必要だ。それは、議員の任期を動かすよりも難題かもしれない。