望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

機能する議会にするために

 国会審議が形骸化しているという批判は以前からある。予算案や法案の審議よりも閣僚らの不祥事や疑惑、不適切発言の責任追及を野党が優先したりする一方、野党が法案に関し具体的想定に即して質問すると政府がまともに答えなかったりする。与野党の一方にだけ原因がある現象ではないようだ。

 予算は毎年成立し、各種の法も毎年成立しているので国会が役目を果たしていないとは言えないのだろう。でも、与党は与党の役割、野党は野党の役割を演じて大騒ぎを観客(国民)に見せはするが、審議を通して原案が修正されることは少なく、官僚が作成した予算案や法案などを基本的にそのまま成立させている。

 熟議を求める声が当事者である国会議員から上がったりするので、国会の審議の現状について憂慮する意識はあるのだろうが、何も変わらない。国会審議で熟議が実現していないのなら、その主な原因は、選出される議員の資質(知見や見識に乏しく、熟議をすることができない?)にあるのか、現在の議会制度にあるのか。

 国会審議に不適切な議員については、「こいつはダメだ」と判断した主権者が次の選挙で当選させないことしか解決策はない。現在の議会制度については、審議の質を高め、熟議を常態化させるために改革すべきところは結構あるように見える。

 例えば、2院制は機能を分け、「衆議院は内政に関する事項を審議し、参議院は外交・防衛に関する事項を審議する」。担当分野を分けることで、より専門的な知見を議員は求められる。現在の予算委員会のように内政から外交、政治姿勢から不祥事の追求まで何でも取り上げて与野党、政府がそれぞれの主張を言い合う審議は減少する。

 参議院を外交・防衛を専門的に審議する場にしたのは、現在の世界は緊密化しつつ複雑化かつ流動化しており、そうした世界に対応して日本国の外交方針を独自に構築するためには、議会において多角的に審議する必要があるからだ(対米従属の外交を続けるなら、その必要はないかも)。

 議員を世襲ポスト化しないために、「通算20年を超えて国会議員の地位にあるものは両議会議員としての被選挙権を失う」などと任期制限を設ける。選挙に強い人物が国会審議に適しているとは限らないが、選挙に強ければ当選を繰り返すので、そうした人物を国会から排除する仕組みだ。有能な人物なら、20年ほど議員を務めた後にも活躍する場は国内外にあるだろう。

 内閣総理大臣が持つ衆議院の解散権を廃止し、衆議院での不信任決議案可決に対しては内閣が国民投票を行うことができるようにする。民意を国会に適時反映させるためには衆議院議員の任期を2年とする。思いつくまま列挙したが、こんな「改革」が行われれば議会の様相が一変することは間違いなさそうだ。