望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

需要が消えた

 2人乗りのマツダロードスターは1989年に初代が発売され、世界的なヒット商品になった。大型のスポーツカーは各社が販売していたが、小型のオープンスポーツカーは欧州で小規模メーカーが細々とつくり続けていただけだった。そこにマツダロードスターを投入、世界で需要を掘り起こした。

 小型のオープンスポーツカーに乗りたいとの需要は、世界に存在していたのかマツダロードスターが作り出したのか定かではないが、供給が需要を喚起した典型だ。2016年4月に累計生産台数が100万台を突破し、「2人乗り小型オープンスポーツカー」として生産累計が世界1とのギネス記録を更新し続けている。

 大量の需要が存在することが明確なのに、供給が少ないのが、鼻と口を覆うマスクだ。一気に人々が買いに動いたため市場からマスクが消え、政府の指示もあってメーカーはフル生産体制だというが、店頭からは消えたままだ。需要が存在することが明確なのに、供給が行われない。急に過大になった需要は市場から商品を“蒸発”させた。

 供給に見合った需要があり、需要に見合った供給が行われるのは、経済が安定して回っている状態だ。だが、需要は商品が売れることで見えてくるものなので、どんな需要が存在するのかを前もって知ることは簡単ではなく、今回のマスクのように需要は変化するから、需要と供給はアンバランスになる。

 供給が需要より過剰になると安売り競争に陥るが、需要か消えると経済の回転は止まる。それが現実となった。各国で人々の外出が厳しく制限され、飲食店や小売店の大半が休業を命じられ、国境は閉鎖された。繁華街から人影が消え、航空会社は大幅な減便で経営不安が現実化し、各地のホテルは格安価格を提示するがガラガラだという。

 需要は人々の消費活動として現れるが、人々が自宅待機をする中で各種のオンラインサービス以外は停滞を余儀なくされた。需要が消えた世界では、供給がいくらあっても、それは在庫でしかなく、売り上げが立たない。経済活動がほとんど停止した世界で人々は、どう生き延びればいいのだろうか。

 世界で進行中の需要の“蒸発”は、経済史に大書される事件だ。あと数カ月で新型コロナウイルス感染の広がりが終息し、経済活動が活発化して景気が急回復するならともかく、終息の見通しが立たず、人々の外出制限=需要の抑制が続くなら、市場経済は“窒息常態”になり、世界では国家主導の統制経済が広がるかもしれない。統制経済になれば、オープンスポーツカーなどは排除されるだろう。