望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

歓迎すべき解散

 人気があるバンドの主要メンバーがソロ活動を始めることが、バンドの解散の端緒となることはよくある。過去のヒット曲中心に演奏するライブツアーにマンネリ化を感じたり、新しいアイデアを試すことに他のメンバーが消極的など音楽的な動機もあるが、メンバー間の不和が根底にあることも珍しくはないとか。


 プロダクションが所属タレントからメンバーを選んで、歌を歌わせてデビューさせたグループなら、ソロ活動は簡単だろう。テレビのバラエティー番組やドラマなどにメンバーをバラ売りしているのだから、音楽においてもソロ活動させてバラ売りすればよい。しかし、プロダクションが仕立てた人気グループのメンバーがソロ歌手デビューすることは、ほとんどない。


 その理由は、①歌がグループとしての主要な存在意義であること(歌でソロ活動を認めたら、グループとしての存在意義が薄れる)、②音楽的才能があふれていたり、歌唱力が優れているメンバーがいない(そんな才能を持ったタレントがいたなら、最初からソロで売り出すだろう)、③提供された楽曲を歌うだけなので、ソロ活動をさせると楽曲調達コストが増大する、④音楽でソロ活動をしようと欲するメンバーがいない。


 グループとして新曲を発売すれば個別メンバーのファンも買うだろうが、誰かがソロ歌手となって新譜を発売しても、そのファンしか買わない。プロダクションが新曲を用意したなら、グループとして発売したほうが多く売れるだろう。つまりプロダクションにとって、グループが存続しているのに、メンバーをソロ歌手デビューさせる利点は乏しい。


 メンバーをタレントとしてバラ売りしているのにプロダクションがグループを存続させるのは、新譜を発売し、全国ツアーを行えば巨額の売り上げが見込めるからだろう。グループとして人気があれば、たいした曲でなくても駄曲であっても、そこそこは売れるだろうから、商売を続けることができる。


 プロダクションが所属タレントの中からメンバーを選んで仕立てたグループには、最初からグループを形成すべき理由も必然性もなかった。ヒット曲を連発したとしても、与えられた曲をメンバーが特に秀でているわけでもない歌唱力で歌っただけなら、歌手としてのポジションにメンバーはさして未練はないかもしれない。


 つぶれるものは、つぶれるしかない。与えられた曲を歌っているだけで歌唱力にも特筆すべきものがないタレントの寄り集まりに過ぎないグループが、さっさと消え去ることは日本の音楽シーンにとっては僥倖だろう。だが、人気タレントが歌えば何でも売れるという市場は存続し続けるからプロダクションはすかさず、同じようなグループを仕立て上げて売り出す。問題の本質は音楽にはなく、タレント活動にある。