望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

文学の領域

 日本で文学というと小説、詩歌、戯曲を思い浮かべる人が多いだろう。対象を広げても、随筆や文芸批評、作家の日記や体験記などを含めるぐらいが広義の文学か。だが、文学の定義は固定したものではないらしい。文学の概念は、史伝や歴史書、伝記などを重視したり、古典の注解や政治的・思想的評論なども対象とするなど、国や文化によって幅があるという。

 個人が創作した文字表現の世界は広大かつ多様であり、詩の一節と同様に哲学書などの一文に美や面白さを感じたりもすることもある。フィクションに対象を限定せずに、対象を広げることで、文学の世界はもっと豊穣になろう。だが、あまりに多様になりすぎると、人間の知的活動の大半が文学の範疇になりかねない。

 中国の影響を受け、詩と散文を重視していた日本で、文学の定義に大きな影響を及ぼしたのが本居信長だという。加藤周一氏は「十八世紀の後半に本居信長が日本文学を定義」し、漢学者や儒者など江戸時代のインテリが批判していた源氏物語を「代表的な文学作品として擁護した」(『日本文学史序説 補講』)という。本居信長は「道徳と文学作品の分離、つまり子どもに道徳を説くことと文学は違う」とし、「「文学は<もののあはれ>といったような美的な感動の表現である」とした(同)。

 明治維新以後に儒者の影響力は衰えたが、本居宣長の文学の定義は継承され、漢文は廃れて言葉は日本語、内容は美学と日本文学の定義は狭くなった。そこに西洋化の影響が強くなり、詩と小説と劇が文学の中心だという英国の文学観が輸入され、国学に重なり、さらに第二次大戦後には、詩と芝居と小説だけを文学とする米国の影響を受け、狭い文学の定義が固定化された(同)。

 加藤周一氏は著書『日本文学史序説』で文学概念を拡大し、漢文で書かれたものや口承の文学を積極的に取り入れ、宗教的、哲学的著作から農民一揆の檄文まで取り上げた。狭い定義は「日本文学史をいちばん面白く読むための道具ではない」「広い視野で見直せば社会思想も哲学思想もはるかに豊富に出てきて、日本文学史が豊かになる」(同)とし、過去の作品の列挙ではなく、「過去を押さえて、その上に新しいものを付け加えて変化」していったとの歴史を叙述した。

 ノーベル文学賞も文学の概念を広げ、2016年のノーベル文学賞の受賞者をボブ・ディラン氏とした。受賞理由は「偉大なアメリカ音楽の伝統の中で、新たな詩的表現を創造した」功績によるという。詩人としてではなく歌手としての受賞だそうで、シンガーソングライターも作家の仲間入りか。

 ボブ・ディラン氏の歌う世界が豊穣であることは、英語に堪能ではない人には理解しづらいだろう。英語圏の人にとってもボブ・ディラン氏の歌詞は簡単には理解できないことがあるというから、難解という点では既成の文学の概念にも当てはまる?