望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

最高権威と最高権力

 各種のミサイル発射を繰り返し、核実験を続ける北朝鮮。同じような核開発疑惑があったイランやリビアに対して米国は、絶対に許さないと強硬な姿勢で核開発を止めようとしたが、北朝鮮には核開発を許した。北朝鮮の核開発能力を軽視しすぎたのか、中国の北朝鮮に対する影響力に過大に期待したためか、朝鮮半島の休戦状態維持を最優先したのか定かではないが、もう米国の影響力が限定的であることを示した。

 軍事力では米軍が圧倒的な優位にあるが、北朝鮮軍の敗北=北朝鮮体制崩壊であろうから大量の難民(逃亡者)の発生や韓国の負担増大が懸念され、“勝てる”戦争に米国は踏み切れない。北朝鮮を国家として存続させつつ、ミサイルや核の開発を止めさせ、軍事力偏重から民生の向上重視へと政策を転換させることができれば米国はじめ周辺諸国には望ましいのだろうが、北朝鮮に路線変更の徴候は見えない。

 北朝鮮には世襲の独裁的な権力者が存在するが、現在の金正恩氏がトップになって以来、対外的に硬直した強硬姿勢を続け、国際的な経済制裁にも反発するだけだ。ミサイルや核の開発に注力するのは、それが現政権にとって何らかの合理性がある選択なのだろうが、どのような合理性があるのか、北朝鮮内部の情報が不足しているので外部からは判断できない。

 北朝鮮の独裁者の排除計画が米軍に存在すると度々報じられる。軍事的には常に各種の行動計画を検討しているのだろうが、本当に対象者を暗殺するつもりなら、相手の警戒心を刺激しないように計画は秘密裡にしておかなければならない。外部に知られるようにすることは「警告」や脅しが狙いだろうが、暗殺が困難であることを示しているようでもある。

 さて、もし北朝鮮で独裁者が排除されたなら、体制崩壊をせずに国家として存続するのだろうか、体制崩壊するのだろうか。それを類推するには、独裁者が北朝鮮の人々にとって、どのような存在であるのかを知らなければならない。政治的な最高権力者というだけか、至高の価値を体現する最高権威者なのか。ただの最高権力者であったのなら、独裁者が排除されると混乱が広がるだろうが国としては存続可能かもしれない。

 イラクフセインリビアカダフィが殺された後には破綻した国家が残された。独裁支配による強権で締め付けている体制は、独裁者という重しが外れるとバラバラになる。一方、1945年に日本を占領した米国は、当時は独裁者と見なされた天皇を処刑せず、日本人の反乱を防止するとともに占領業務の遂行に利用した。最高権威者として米国は天皇を位置づけ、独立を失った日本は国家としては存続した。

 世襲で権力を継承した北朝鮮の最高権力者は、さて、最高権威者でもあるのだろうか。残忍な最高権力者であったなら、外部からの力で排除された時に人々は喜ぶだろうが、最高権威者でもあったなら、国が存続する意味が薄れ、体制は崩壊するだろう(外部からの力に立ち向かって反乱を起こすだけの力が民間にあるようには見えない)。最高権力者か最高権威者か、見極めは容易ではなさそうだ。